第76回粒々塾講義録

テーマ「現代にメディアを問う〜デジタル時代とメディア〜」


今まさに我々は多メディア時代に暮らしている。
メディアとは何を指すのか。
テレビ、新聞、ラジオ、インターネット、SNS、出版物、写真など。

オリンピックの開催前に一人の作家が亡くなった。石牟礼道子さんである。
「奇病」と言われた水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」を書き、文学を通して世の中の差別や営利主体の企業、国に異を唱えてきた。文学というものがジャーナリズムであることを実証した作品だ。

石牟礼道子さんと写真家の藤原新也さんの対談集「なみだふるはな」という本がある。詩人で文学者の石牟礼さんと写真ジャーナリスト藤原氏との対談と小文。

水俣病の告発に生涯をささげた石牟礼。2011年の東日本大震災での福島悲劇。藤原さんは震災後2ヶ月間に渡って福島の取材を行い写真に記録した。

この本を通して見える国の欺瞞、怠慢。それを表現することは立派なジャーナリズムだ。

晦日に放映される国民的行事 NHK紅白歌合戦。紅白の視聴率はかつて約80%もあったそうだが、昨年は平均38.2%という数字だった。

この背景には何が考えられるのか?この数字の変化から何を読みとるか。

高齢化社会と言われて久しい。昔の紅白は演歌が多く、高年齢層にも親しまれていた。現代では若年の歌手が多く出場している。演歌離れが進んでいる。高年齢者には見ようとする番組では無くなった。
また、昔は他のメディアが無い上、テレビも一家に一台という環境だったが、今は違う。選択肢が広がっている。
紅白歌合戦と言う番組を通して、社会構造の変遷を読み取ることが出来る。

アナログからデジタルに変わったテレビ。現代ではハイビジョン、薄型、壁掛け、多くの種類が出回っている。
デジタルに変わった事で映像の高画質、高音質、データのスピード化、情報量の拡大、更にはそれに伴うネットとの融合、ツイートなどが可能になり、メディアを通して新たなテレビとの接触方法が出来上がっている。

デジタルテレビのチャンネルは地上波、BS、CS。その他のネットTVなども出来た。それらの「テレビメディア」とどう接触するか。「選択と集中」というメディアへの関わり方が必要な時代。
そして、デジタル化により画像までもが加工できてしまう。「虚像」と「実像」がないまぜになっていく。
4K・8Kなどの超高画質のテレビがNHKでは盛んにPRされている。
それらは果たして必要なことなのか。我々が望んだことなのか。

「進化」という言葉でテレビメディアを語りたくはない。
その内容に「進化」はみられないし。

デジタルが進化を遂げるにつれ「メディア」も多様化し、発信のツールが広がってきた。
SNSでは各人が“ジャーナリスト”になりうる。ウソ、デマの懸念ももちろんある訳だが、当の本人が功罪を見極められているかが疑問だ。

今に始まった話ではないが、「伝えたいこと」(報道されること)と「知りたいこと」の乖離が大きいと感じる事が多い。TVで放映されると直感的にそれを真に受ける。知りたい事に関しては現象だけが伝えられている。それらの現象に対しての「解説」が無い。

メディアの役割とは何なのだろう?「知りたいこと」の間に温度差が生まれてしまっている。

スマホ片手にテレビを観る光景がある。
一億総カメラマン時代がやってきたようにも思える。スマホの驚異的な普及で誰もがどこでも気軽に写真を撮れるようになってきたからだ。
実生活に欠かせないコミュニケーション手段になった。
それだけに“写真リテラシー”はより重要さを増してきているのではないか。一億総ジャーナリスト化現象。スマホの普及で価値観や捉え方が変わってきている。時代の流れだろうが、本人がどれだけ理解しているかどうか。
我々のリテラシー能力が問われる時代。それに伴いメディア側のリテラシー能力も問われてくる。
メディアの側にもリテラシー能力が涵養されなければ。

2018年の干支は「戊戌(つちのえいぬ)」。今までの流れが変化する年ともいわれる。
「変化」のヒントを得る為に、60年前(西暦1958年)の時代を振り返ってみる。時代の「還暦」として。戦後10年ほどで、高度成長が予感される中で、人々の暮らしも変わってきた。
60年前にあたことのいくつか。
・国立競技場の設立
・今の天皇陛下の婚約
岸信介政権(今の安部政権の祖父)
・東京タワー(日本電波塔)の設立
・テレビ受信契約数が100万台を突破
・日本劇場による洋楽、邦楽の混在
聖徳太子像の一万円札の発行
・消費生活の革命
・団地族の普及(和式から洋式へ)
・ロカビリーブーム
・フラフープが流行
・インスタントラーメンの誕生(日清)
スバル360(軽自動車)の生産(富士重工業

「変化」という点に着目すれば、今を考え、今後も考えなければならないこともみえてくる。。
家事や軽自動車、フラフープやインスタントラーメンに於ける共通して言える事は、時間の確保と時間の拡大。
いわゆる「時短」(時間の短縮)が可能になってきた。それによって価値観も変貌する。
この様な「変化」の変貌をメディアは見通せてはいなかったし、誰もが想像していなかった。60年前が6年後の今を。
メディアの立ち位置、メディアの精神、そして政治も自分達も。
「変化」の把握と分析、そして展望。

橋本久美江記)