第79回粒々塾講義録

第79回粒々塾講義録
現代にジャーナリズムを問う〜テレビを考える〜

粒々塾の小林です。

8月分の講義録を送っておらず、
塾長をはじめ皆さまには大変なご迷惑をおかけしました。
本当に申し訳ありませんでした。

勝手ながら先月メールで送ったつもりでおりました。
(実際のところ送信されていませんでした。。。)

で、本題は「オウム」報道に関連したことから。

日本における極刑、死刑。今回の講義は、普段意識することのないこの制度の是非を考える機会となった。死刑はある意味「国家による殺人」といえる。国際的に死刑廃止に向かう流れの中、個人的には犯罪抑止力を制度の存在意義と捉えていたが、実際のところ抑止力はないそうだ。何のために死刑があるのか、死刑は必要なのか、考え直したいと思う。

今年7月、オウム真理教の死刑囚13人全員の死刑が執行された。通常、死刑執行は事後に明らかにされるが、今回は事前にリークされ、テレビのリポーターが今まさに死刑が行われている状況を報道する「死刑執行同時進行型報道」とも言うべき異常な形であった。しかも、執行前夜には法務大臣と首相が宴会に興じていたというから、その神経を疑わざるを得ない。
【参考】https://www3.nhk.or.jp/news/special/aum_shinrikyo/

執行後、作家・村上春樹毎日新聞に「胸の中の鈍いおもり」と題した手記を寄せている。
【手記全文(有料記事)】https://mainichi.jp/articles/20180729/ddm/003/040/004000c

『一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるという考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を−−技術的にせよ原理的にせよ−−排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。』

『十三人全員の死刑が執行された』との報を受けて、やはり同じように胸の中のおもりの存在を感じている。表現する言葉をうまく見つけることのできない重い沈黙が、僕の中にある。あの法廷に現れた死は、遂にその取り分をとっていったのだ。十三人の集団処刑(とあえて呼びたい)が正しい決断であったのかどうか、白か黒かをここで断ずることはできそうにない。あまりに多くの人々の顔が脳裏に浮かんでくるし、あまりに多くの人々の思いがあたりにまだ漂っている。ただひとつ今の僕に言えるのは、今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。もしそこに「これを事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、あるいはこれを好機ととらえて死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。』

「平成に起きた事件は平成のうちに解決するのだ」という言葉が公の立場の人から発せられたそうだ。来年平成が終わり、新しい天皇が即位する際には恩赦がある。この恩をどう取扱うかということは国家・司法にとって大変なことだが、それを避けたかったのではないか。そんな推測もできる。

オウム事件とは一体何だったのか。オウム真理教とは一体何だったのか。なぜ私たちの時代にあのような集団が生まれ、事件が起きたのか。死刑囚たちが生きていれば、もしかしたら真実を語っていたかもしれない。津久井ヤマユリ園で19人もの入所者が殺されてしまった事件があったように、こういった事件は今後も起こり得る。そのためにも、事件の真相について私たちはもっと知る必要がある。しかし、死刑囚全員の死刑執行によって私たちはその機会を永遠に失くし、真相は闇に葬られてしまった。

現在、制度と司法の判断がある以上、死刑が執行されるのはやむを得ないかもしれない。しかし、司法も判断を誤る。再審請求があちこちで出されている。死刑判決を受けながら一旦再審請求が受け入れられて釈放された袴田さんの例もある。司法という制度がどこまで完璧なのか、どこまで納得するべきなのか、どこまで信じればいいのか。

今回の推薦図書は村上春樹アンダーグラウンド」。地下鉄サリン事件の被害者の家族、遺族、関係者の心情がそのままの形で綴られる完全なるノンフィクションだ。マスコミが取材する時は、端折られたり先入観を持たれたりするが、作者はそういうことをしなかった。『私の文章力は、「人々の語った言葉をありのままのかたちで使って、それでいていかに読みやすくするか」という一点のみに集中された。』と彼は本書で述べている。目次には地下鉄の路線名とインタビュイーの名前だけが並ぶ。この本には何の脚色もない、と示しているようで印象的だった。

本書のあとがきにはこう綴られている。
『1995年の1月と3月に起こった阪神大震災地下鉄サリン事件は、日本の戦後の歴史を画する、きわめて重い意味を持つ2つの悲劇であった。「それらを通過する前とあととでは、日本人の意識のあり方が大きく違ってしまった」といっても言い過ぎではないくらいの大きな出来事である。それらはおそらく一対のカタストロフとして、私たちの精神史を語る上で無視することのできない大きな里程標として残ることだろう。
阪神大震災地下鉄サリン事件というふたつの超弩級の事件が、短期間のあいだに続けて起こってしまったというのは、偶然とはいえ、まことに驚くべきことである。それもちょうどバブル経済が盛大にはじけ、右肩上がりの「行け行け」の時代がほころびを見せ始め、冷戦構造が終了し、地球的な規模で価値基準軸が大きく揺らぎ、同時に日本という国家のあり方の根幹が厳しく問われている時期にやってきたのだ。まるでぴたりと狙い澄ましたように。』

オウム事件が私たちに残したもの、それは「相互監視社会」だ。事件後、駅からゴミ箱が消えた。新幹線の車内を警官が見回り、「お近くに不審物や不審な人がいたらすぐ車掌に通報してください。」というアナウンスが流れるようになった。この時に生まれたものは今も続いている。

そしてまた、オウム事件はテレビにとって大きな汚点を残した。
1つは松本サリン事件。被害者の1人である河野義行さんは、あたかも犯人だというような報道をされ、テレビによる報道被害を受けた。
もう1つは坂本弁護士一家殺人事件。坂本一家が殺されるきっかけを作ったのはTBSと言われている。ワイドショー番組「3時にあいましょう」の担当者が早川紀代秀らオウム幹部に坂本弁護士のインタヴューテープを見せてしまったことが原因だ。取材源の秘匿、取材テープを他者に見せないという倫理規程があるにも関わらず、それを破ってしまった。ある意味で、テレビの脆弱性がそこに露呈した。
【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/TBS%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E5%95%8F%E9%A1%8C


さて、今回の講義後半ではテレビについて学んだ。これまで幾度となく取り上げられた「メディアリテラシー」。テレビというメディアが発信する情報を読み解くためには、まず相手(テレビの歴史や構造)を知ることが必要だろう。

まず、テレビと災害報道について。先日の西日本豪雨では11もの府県に特別警報が出されていたにも関わらず、サッカーや歌番組などいつも通りの番組が放送されていた。キー局は東京にあり、東京の人間は西への関心が薄いのだ。テレビ放送のネットワークがある以上、地方局(準キー局と言われる大阪もいわばローカルだ)はキー局の番組を受け入れざるを得ないし、取材能力を持っていない。しかし、災害情報を求める被災地の人たちの目にはどう写ったのだろうか。

そして、災害被害をもっと減らすことはできなかったのか。テレビはもっと避難を呼びかけるべきではなかったか。オオカミ少年のように、市民はテレビや行政にどこか不信感を持っている。警報を信用せず、避難しなかったために被害者となった人たちも多くいただろう。ヘルメットを被ったリポーターが大げさに騒ぐだけの中継、今では決まり文句ともなった「不要不急な外出は控えてください」という言葉遣いなど、反省の意味を込めて報道の仕方は検証されるべきだろう。

テレビがどんな歴史を辿って来たか。1953年にNHK日本テレビが開局し、街頭テレビの「力道山vsシャープ兄弟」プロレス中継に人々は群がった。高度成長とともに普及が進み、皇太子殿下のご成婚パレード、アメリカからはケネディが暗殺された瞬間の映像が飛び込んできた。東京オリンピックが世界へ中継され、1969年にはアポロ11号の月面着陸の様子が衛星中継された。カラー化が進む中、生中継された「あさま山荘事件」もテレビの歴史では画期的だった。こうしてテレビは歴史の出来事と共に歩んできた。

1953年 NHK、NTV開局
1960年 カラー放送試験
1963年 米との衛星中継
1964年 東京オリンピック、衛星で世界に配信
1969年 アポロ月面着陸
1971年〜 完全カラー化へ
1989年 衛星本放送
1991年 ハイビジョン
2003年 地デジ化スタート
2011年 アナログ放送終了(被災三県は翌年)

テレビの構造について。テレビは大まかに制作と営業の2つの部署から成り立っている。民放は営業が金を稼がないと番組を作れない。昔、テレビの報道にはスポンサーが付かなかったため「お荷物」と言われていた。報道番組で初めて本格的にスポンサーが付いたのがテレビ朝日ニュースステーション」だ。電通が枠を買い取りスポンサーに売るというシステムを取ったため、電通を通さないとこの番組のスポンサーにはなれなかった。

「制作」と言ってもテレビ局が自社で制作する番組はニュースくらいのもので、大半は外部のプロダクション(制作会社)に委託している。NHKにも「NHKエンタープライズ」という別法人があり、ここがさらに外部の民間プロダクションを使っている。開局したばかりの頃は自社でドラマもやっていたが、結局はプロダクションに委託するようになり(エンドロールに出る「制作協力」がプロダクション)、外部に依存している。外部であるプロダクションが、報道番組の中で「報道とは何か?」「伝えるとは何か?」をどれだけ理解しているのか。おそらくあまり理解していないだろう。だから前述の「3時であいましょう」のような事件が起こる。さらに、持ち込み番組や通販番組といったものもある。これらは民間会社が自ら制作・パッケージ化したものを局へ持ち込むもので、これが一番問題だ。社会的・政治的な騒動を巻き起こした「ニュース女子」は、DHCの持ち込み番組である。

テレビ局には考査という部門があり、番組が放送法等に違反していないかチェックしているが、このチェック機能が弱まっている。そうでなければ「ニュース女子」のような問題は起きなかっただろう。今後、考査部門を強化し、放送番組審議会(法律で局に設置が義務付けられている)できちんとした議論をしていかないと、テレビはますます劣悪なものを作りだしたり、倫理に背くようなことが行われるおそれがある。

一方、「営業」も局のみではなく広告代理店が入っている。もともとは局がやっていたがやりきれないので、それを「代理」するため広告代理店ができた。制作もやりきれないのでプロダクションが出来た。テレビはこのような厄介な構造で出来ている。

テレビと視聴率について。その時間にどれだけのテレビがついているかが視聴率であり、実際に誰が見ているかは関係がないため「猫が見てても視聴率」と言われる。民放の視聴率の三冠(前日・ゴールデン・プライム)をここ数年キープしているのは日本テレビ。その前はずっとフジテレビが1位だったが、いつの間にか最下位になってしまった。

テレビでなぜ視聴率視聴率と言われるか、それは視聴率が高ければ金になるから。視聴率の高い番組に対してスポンサーは高いお金を払うため、視聴率が高ければそれだけ収入が増える。関係者が視聴率を気にするのはそのせいで、テレビ局では放送の翌朝には視聴率が出ている。

だから、局はプロダクションに対して「数字の取れるいい企画を出せ」と責める。いい企画を出さないとプロダクションは潰れる、そういう力関係の中で成り立っている。また、視聴率が取れるのは芸能人が出ている番組だ。ジャニーズ事務所など、大手の芸能プロダクションにいかにとり入るかが番組プロデューサーの仕事で、ジャニーズに強いプロデューサーは局の中で非常に優遇された。

なぜどの局の番組も、似たような内容・顔ぶれで個性がなく変わりばえしないのか。それは、あちこちの局に入りたいプロダクションが同じ企画を出し、同じタレントを使うから。『テレビの顔がない』そんな時代と言える。

政治家は非常にテレビを意識している。政治家にとって、テレビに映ることは最大の利点だ。例えば、安倍首相のインタビュー時には必ず傍に誰かがいるが、テレビに顔が出るということは、それだけでその人の評価を上げるためだ。だから、テレビに対して非常に介入してくる(安倍首相が官房副長官だった時には、NHK南京大虐殺の番組を作ろうとした時にやめさせている)。

テレビ広告には、CMの他にインフォマーシャルというものもある。番組のような形をしながら、さりげなくそこに企業宣伝を忍び込ませているもので、例えば「成功した企業の〇〇」という形で社長を番組のゲストに呼び、結局はその企業の宣伝をしている。企業にとってこんないい宣伝効果はない。見ている私たちも「テレビに出ていたから」と、それだけで信頼してしまう。

これらテレビの仕組みを気に留めておくと、テレビの見方が変わってくる。テレビ番組は作り手の様々な思惑が入り込み出来上がっている。番組のシーン1つ1つに制作側の意図があり、意識しないところにも広告が忍ばされている。その思惑を読み取るつもりでテレビに相対することも、メディアリテラシーの向上に繋がるだろう。