第82回粒々塾議事録

テーマ ~「考えること」を考える~

“今、我々が考えなくてはならないことは、「あまりにも」多い”

その中で何を考えなければならないのかを考えることは複雑怪奇なこと。

日常生活に横行している横文字やアルファベットの羅列。

単語の意味を知らねば、あっという間に情報の渦に飲み込まれる。

例えば、GAFAを表すのは? GoogleAppleFacebookAmazonの頭文字を合わせたもの。では、CSとは? Customer Satisfaction, Cyber Security, Communication Satelliteなど。

同じ略字でも、複数の意味を持つ時代である。だからこそ、常に知らないコトバの意味を考えることは重要である。

“「考える」という作業は脳の中で言葉が飛び交っているということ”

それは多様な単語を知っているからこそ、物事を考えることができる。

聖書に記されている「バベルの塔」。人間が高い高い塔を天に向けて築きあげようとしたために、その傲慢さに怒り、かれらの言葉をバラバラにしてしまった。

高層ビルが立ち並ぶ姿は、現代のバベルの塔の様、そしてコトバの集合体も。

スマホの進化は、人間の思考を奪った。

言葉を使わず、ボタン一つで、「モノを買い コトを調べる」

それらはコミュニケーション能力を欠如させ、人として考える事を放棄させるに至らせる。

AIの進化により、ヒトは本来コトバが持つ意味を見失う。

例えば、「ふるさと納税」はことばの矛盾としての代表例。

本来の「ふるさと」の意味からは大きく逸脱し、「コトバの乱れ」として表れる。

どこかで考えを割り切り納得し、返礼品目当てという本来の意図とは異なる方向性へ進んでいる。

「言葉の品格」について触れてみたい。

“物を自由に考える。それには日本語を知らなくてはならない。”

日本語の仕組みや特性を理解してこそ、日本人の頭に文章が創られる

日本語で大事なモノとは、音である。音(オン)で伝わる言葉、それこそが日本語の魅力である。

ソクラテスは「書き言葉を信頼せずに、対話を続けた」とある。

言葉とは、本来社会のなかで生きる人間がコミュニケーションを図るためのツールであるが、スマホの台頭により現代のコミュニケーション力は著しく低下してきている。

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谷川俊太郎

新聞はコトバだ

まるごとコトバでできている

コトバは万人のもの

そしてあなた一人のもの

新聞はコトバだ

コトバは情報となり

意見となり偏見となり

まれに思想となり

詩になることもないではない

新聞がコトバだ

ぺらぺらの新聞紙ではない

可燃でも不燃でもない

変幻自在のコトバだから

気づかずに人を欺く

… と続く

コトバについて新聞と対話しながら、詩を綴る

「変幻自在のコトバだから 気づかずに欺く」の一文には、新聞は、裏切りやフェイクも混ざっているよという、人を欺いているよとの皮肉も忘れない。

◆平成最後の歌開始の儀。お題は、「光」。

天皇陛下

「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」

「ひまはりの種」阪神淡路大震災で犠牲になった加藤はるかさんの倒壊した自宅に植えたひまわりの種を贈られ、皇居御所で毎年大切に育てている「はるかのひまわり」を歌う。

〇皇后さま

「今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇のみな美しく」

年を重ね不安を抱きつつも、バラの美しさに目をとめ、もうしばらく生きようと心穏やかになる様を歌う。

背景にある想いをコトバであらわす品格ある歌、そして命の尊さを汲んでいる。

反面、いじめや虐待、車の煽り運転や不適切な動画など、メディアを通して数多くの事例が発信されている昨今。深く考えずコトバを発する、また感情を抑えられず行動する。稚拙で利己的な社会。

◆(声)若い世代 心の中で生きる親友ぴっぴ

2018年12月28日 小学生 金指沙絵(神奈川県 10歳)

親友のぴっぴが突然死んでしまいました。ぴっぴはきれいな水色のセキセイインコ。わたしが登校したすぐあとにたおれていたそうです。迷惑をかけたくなかったのでしょうか。

 その朝、小さな声でピヨピヨピヨと言っていたのは、今思えば苦しかったのかな。生まれたての時からエサをあげてめんどうをみてきました。まだ半年しか生きていないのに。ぴっぴはうっすら目を開いてまだ生きたい、と言っているよう。かわいそうで大泣きしました。

ぴっぴは友達の少なかったわたしの親友でした。短い間だったけど、仲良くしてくれてありがとう。ぴっぴはわたしの心の中でずっといきているよ。ぴっぴ、いつまでも大好きだよ。

 庭に作ったお墓の上にユリの種をまきました。来年、きれいな白い花が咲くと思います。

(声) 優しい女の子、涙が止まらない

2019年1月29日 無職 松枝さよ子(佐賀県 76歳)

「心の中で生きる親友ぴっぴ」(12月28日)を読み、ことのほかうれいしい朝となりました。10歳の少女の悲しいけれど、こんなに美しい文章に出会えたのは初めてです。何度も読み返しました。

「ぴっぴはうっすら目を開いていてまだ生きたい、と言っているよう」というくだりには、涙がこぼれました。死んでしまったインコのぴっぴちゃんも優しいあなたを忘れないと思います。

これからも、うつろいゆく日々を書き留めてくださいね。そして、またいつか紙面であなたに会えるよう願っています。ぴっぴちゃんのためにまいたユリの花のように、美しく成長していくであろうあなたの未来を思い描きつつ。

この二つの(声)から感じること

10歳と76歳の会話が紙面を通し成り立ち、ヒトの人格が重なり合う。

SNSは文明の利器であるが、その中身はどうだろうか。

アウグチヌス「食べ物を選ぶように、言葉も選べ」

食材が食べられるものか否かを知らなければ、最悪死に至る。その食材と調理法を慎重に学び、調理する必要がある。言葉にも同様の慎重さが必要であるということである。

「コトバは人間の運命をも変えるほど大きなものです。」(三浦綾子

慎重にコトバを選ぶことの大切さ。コトバに救われることも、ソレで殺すこともある。

コトバはそれを発した人間の人格を映し出す。

「禍は口より出でて身を破る、福は心より出でて我をかざる。」日蓮

「古人わざわいは口より出でて、病は口より入ると言えり。口の出し入れ常に慎むべし。」貝原益軒

「言葉の取扱者たる資格があるか自問せよ。」イエス・キリスト

堺屋 太一 落合 陽一のこと。

日本の政治家は馬鹿でも務まる。日本の社会システムは有能な官僚で創られてきたから。

堺屋太一の持論だった。

かつて経験したことのない時代へ突入し、今国が蓄積してきた基礎体力が一気に削がれてきている。あらゆる「偽装問題」がそれらに拍車をかけ、国の根幹を揺るがしている。以前とは大きく異なり、官僚も偽装の一端を担ぐ時代となった。

少子高齢化の時代が来るとは思えなかった過去、そして問題化されてきても無策で臨み続けてきた現代社会。

落合陽一が文芸誌で語っていたこと。

背に腹は代えられないと、社会保障費の増大を、週末期医療の是非という極論で語る。人の命や人権をコスト削減で括ることの危機的社会状況。このような若手の論客を生み出したのは、なぜ?そして、だれ?

命や人権をもっと大切にする世の中であるべき。

次回の塾は、AIに関して。

本日の推薦図書は「AI vs 教科書を読めない子供たち」(新井紀子

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さて、個人としての感想を綴る。

ツールとは常に目的を成すための手段であり、その位置づけは「人が主」で、「ツールは副」である。しかしながら、様々な分野でのAIによる技術革新は、ツールを主とし、人を副としつつある。その代表的なモノが、スマホの出現だろう。面と向かっては言わないけれど、ネット上では論客になったつもりでコトバを並べ連ねる。特定できない個人がニュース案件の評論家になったかのように。そしてメディアも、その顔もなく本名も知らないコジンヒョウロンカ達に翻弄され、社会に要らぬ種を蒔く。メディアもいわば伝達機能のツールである。いわば、ソレを取り扱うモノによって、すべてが決まる。結局は、「ヒト」の資質である。

強大な威力を持つツールであるならば、特にソノ取り扱いには気をつけねばならない。それを認識しているか否かは、大変重要なことである。文字や言葉の羅列から感情を完全に読み取るのは非常に難しいこと。コミュニケーションという言葉の掛け合いで、喜怒哀楽を読み取り、自我を見失わないよう自らが様々なツールをコントロールする努力をし続けるべきだろう。

(記 りょーすけ)