第83回粒々塾講義録

テーマ「不安な個人・衰退する国家」

 

今回の講義タイトルは、今の我々、この国を表している表現。

様々な不安を抱え、国家は衰退していると思われる中で元号が変わる。

 

元号「令和」。

万葉集の歌集「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。」からの引用とのことだが、出展は中国・張衡(ちょうこう)という人が書いた帰田賦(きでんのふ)からきたとも言われている。

 

安倍首相は会見で「梅の花のように咲き誇る花を咲かせる日本でありたい」また、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べたが、内閣発足時に明確な説明がなかった「美しい国」。

これと「令和」という元号がキャッチフレーズ的に重なり合う。

 

大正から明治に元号が変わったとき、明治の庶民はすぐ敏感に反応し「落首」でおちゃらかし、国に対してものを言ったというが、現代のメディアは決まった1ヶ月前からバカ騒ぎをはじめた。

やはり、この国は衰退していくのではないだろうか。

 

とにかく、様々なことがあった「平成」が終わるが、平成は日本にとって転落の時代だったのではないだろうか。そして、夢も希望もない話をすれば「令和」は奈落に落ちる新しい時代になるのではないだろうか。そんな不安が頭をよぎる。

 

平成という時代を一言で言えば天災の時代。雲仙普賢岳阪神淡路、東日本、西日本豪雨、その他、大災害の時代だった。

哲学者・梅原 猛氏は原発事故に対して「文明災」と名付けたが、この言葉から、発展してきた文明の編成としての平成があったのではないかと感じる。

時代の受け止め方はそれぞれだが、別の視点で振り返れば、インターネット、携帯電話と共にあった時代ともいえる。

平成に入り、インターネットが登場し、パソコンというものが使われるようになった。

これは、日本にとって大きな転機であり、今も我々はパソコンを使っている。その後、携帯電話が登場した。それもスマホというしろものが。

 

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その現象の中にあって、差別、格差が露骨に進行した時代だとも言える。

例えば、「アンダークラス」という言葉は、日本には928万人いる年収186万円以下の人をさす。日本では、約1千万人がその年収で暮らしている。

一方、テレビでは何のためらいもなく、高額所得者の豪邸番組を放送し続けている。このことに、とても違和感を覚える。

 

さらに、4、50代の引き籠りの大人が増えている「8050」問題。

80代の親を50代の子が面倒をみるとは逆に、80代の親が50代の子の面倒をみている。この年代が増えた理由は、バブルの崩壊後の企業の人員削減。これをきっかけに非正規雇用が生まれ、労働環境などの問題も重なり、どうにもならなくなった人が引き籠り、親の年金で暮らしている。もちろん、親の介護をしている人も沢山いる。

「8050」問題。これは、今後の日本の課題になってくると思われる。

 

ネットと共に平成が始まり、ネットが人間の社会を侵食し、ついにはAI、スマホが人々の生活を激変させていく。この世界、この時代をどう生き抜くか。

時代は元号によって区切られるものではないが、「昭和はどうだった」、「平成という30年は何だったのか」という振り返り方も私たちには必要なのではないだろうか。

 

中村草田男

降る雪や 明治は遠く なりにけり

 

元号が「令和」になったころ、我々は「散る花や 昭和は遠く なりにけり」にとでも詠もうか。

時代の認識は、その時代を生きた人達が、その元号で括られた時代を、様々な人と話す事によって、自分の中でも整理され、確認し、認識し、そこから見えてくるものがある。平成の30年間を振り返ると、日本は微量な出血が続いていた時代の様な気がする。

 

GDP、平均余命、寛大さ、社会的支援、自由度、政治は腐敗をもとに測る「幸福度指数」。

 

幸福度指数=国民がどれだけ幸せだと感じているかという指数

 

日本の幸福度は直近で世界58位。前年は54位。日本の幸福度指数は下がり続けている。このことをみても国家は衰退しているのだと思う。

平成経済は、バブルが崩壊し、非正規雇用を含め、はしゃいでいた人たちはバブルと共に消えていった。

以降、政治は劣化し、格差の拡大を止められず、倫理の面でも重要な閣僚達が虚言と暴言を繰り返している。そんな幼稚な政治家を支持する人たちがいるということも劣化だと言える。

また、平成という時代は異常なまでに災害が多かったが、唯一評価できる点としては「戦争」が無かったということ。

しかし、戦争には巻き込まれなかったが「オウム真理教事件」が生まれた。このオウム問題とは、いったい何だったのだろうか。

単純にオウムを悪と決めつけるだけではなく、もっとこの事件が起きた原因、本質を考えなくてはならなかったのではないだろうか。

 

インターネットから携帯、スマホへ。人々はSNSを通じて思いを伝えるようになった。フェイスブックでも異常に思いを述べている人がいる。しかし、それは思いであって考えではない。思いは考えではないのだ。

結果、反知性主義が世を席巻し、世論はネトウヨブサヨの二極にわかれた。

おかしなネット訴訟も含め、この世界は一度入ったら流されやすい。

自己を持ち、情報を取捨選択し、しっかり自分の根幹の考えをもつことが重要である。

 

国家の衰退のもう一つの大きな事象は、少子高齢化。特に高齢化である。

出生率が下がれば国民の平均年齢が高くなることは誰でもわかる。

平成になって人口問題の警鐘を鳴らした堺屋太一氏。そういう人も次々に亡くなって行く。政治家、国は何も対策を立ててこなかった。

先進国では、フランスだけ出生率が高まった。政治家が国家の危機について真剣に考えた結果だといえる。

 

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公的教育費対GDP比較。(GDP国内総生産

現在の日本は約3.5%。先進国150か国の中で114位。あまりにも低すぎる。

上位は北欧諸国、続いてフランス、アメリカは59位。

日本は私学の助成金を減らし、国立大学も減らし、将来は0にする方針。

いつから日本は子供たちの教育費を削るようになったのだろうか。

教育費とは未来への投資であり、日本人は江戸時代から教育熱心で、それによって高い識字率が生まれた。来日した外国人が、これほど庶民が本を読んでいる国はないと驚嘆した歴史がある。

この日本人の識字率から生まれた知力が、明治維新以降の文明開化の支えとなり、列強による植民地支配を知力で防いだ。

教育は長期的な国力を養う。しかし、今の日本の教師は雑務に追われ、残業を強いられ、肝心の子供たちとの時間を削られている。本来はもっと創造的であるはずなのにその余裕がない。

今では東大卒の学生でも中央省庁には行かず、民間企業に就職する。声には出さないが、忖度の統治機構と劣化した政治体質に見切りをつけている。

これも衰退している国家の一つの象徴といえる。

 

国の借金、債務残高も増え続けている。国債発行は次の時代への借金である。

年金問題やその他もろもろおこなわれていることも将来のツケ。大人たちは未来の子供たちの資産を食いつぶしている。

 

昭和の政治家は将来の理想像を持っていたが、現代は全く感じられない。政治家の国家に対する理想像は平成の時代ですっかり無くなってしまった。

この国の暮らし、出産、育児、教育といった現場から離れたところで、既得権益にしがみついている人たちが未来を食い物にしている。

政治家、官僚は日銀短観四半期の数字しか見ておらず、原発のような重厚長大産業には未来が無いということは福島で経験済みのはずなのに、未だに投資をおこなっている。

 

女性を押さえ、子供の資産を奪い、貧民層を増やし続ける。「保育園落ちた日本死ね」という言葉が、今後の日本への呪いの言葉のような気がしてくる。

 

レタスクラブ」という雑誌がある。以前は月刊誌だったが、現在は季刊誌に変わり、この雑誌のあり方が今の時代を表している。

以前、この雑誌の特徴は毎号「こだわりの料理」だったが、編集方針を転換し「便利で簡単な料理」に変えたことによって継続している。

「簡単・便利」。これが時代を象徴するキーワードではないだろうか。

 

毎日のように聞く、「AI(アーティフィッシャル・インテリジェンス)」。人工知能のことであるが、今後、このAIをどう捉えていくか。

スマホでの決済、キャッシュレス社会。これもAIでの技術。便利になるのは良いのだが、高齢者はその対応に苦慮している。

今後、貨幣社会がなくなり、現金を持ち歩かずにすべて電子決済等になると言われているが、高齢化社会の中で、対応は難しいのではないだろうか。

 

AIの話しの中で出てくる「アルゴリズム」と「シンギュラリティ」。

アルゴリズム」は、ゼロと1に基づいた計算方式。「シンギュラリティ」は、AIが人間の知性を超える特異点。これが2025年という人もいれば、2040年だという人もいる。

その中でコンピューターが人間の存在を否定し、人間を情報化していくとも言われる。情報としての人間。アルゴリズム的なゼロかイチの世界。

 

そんな社会の影響は人間の行動にも現れはじめている。

病院、医療現場では、患者の表情や様子といった生身の人間を見るのではなく、カルテやパソコンばかりを見て、人体の情報を読み取っている。

マイナンバーなどは番号そのものが国民であり、一人一人の生身の人間は余分なものでしかない。また、企業では上司がメールで報告しろとメールで指示を出している。

 

生身の人間が自分の言葉で話し、他の人間と接することによって、正しい情報が得られ、伝わるはずなのに、本人が要らなくなっている。

この国からどんどん「人間性」が失われていく気がする。

 

デジタル化を追求すると関係のないものは削ぎ落された、データだけが必要とされるようになる。人は意味のあるものだけに囲まれていると、いつの間にか意味のないものの存在が邪魔になってくる。

一つの社会現象となって現れたのが、相模原の知的障害者19人の殺害。「この人たちは人間じゃないのだから・・・・」必要じゃないものはいらないといった感覚。この余分なものを削ぎ落とすといった感覚を持った人が、これから増えていくのかもしれない。

 

AIが侵すことが出来ない分野に「芸術」がある。これは人間じゃなくては創ることが出来ない世界。人間はこの芸術を頭脳と知性で見分けることができる。

これから先、毎日のようにAIという言葉に出会うと思うが、その時に「人間性」、「知性」ということをあてはめて考えてもらいたい。

あらためて、このことを塾生の皆さんには伝えておきたい。

 

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自由の森学園の卒業式、荒井達也という校長の言葉。

 

今日は、小川町の近くの東松山市都幾川のほとりにある小さな美術館のお話をします。その美術館は「 原爆の図丸木美術館 」です。

画家の丸木位里さんと丸木俊さんご夫妻が共同で制作した「原爆の図」を展示するために開いた小さな美術館です。一昨年50周年を迎えたそうです。

画家同士の二人が結婚したのは1941年7月、アジア太平洋戦争開戦の半年前でした。その後、戦況がしだいに厳しくなり南浦和疎開しているとき、広島に新型爆弾が落ちたことを知ります。広島出身の位里さんはすぐに広島に向かい、原爆が投下されてから3日後の8月9日に到着します。やがて俊さんも駆けつけ、二人はしばらくの間広島で過ごしたそうです。

敗戦から3年の1948年、二人は「 原爆を描こう 」と決意しました。それから 34年かけて「 原爆の図 」十五部作を描き上げていくのです。

「 人間の痛みを描く 」というこの原爆の図、どの作品にもたくさんの人間が描かれています。ある作品では焼けて剥けた肌を引きずりさまよっているような人々、炎に焼かれてもだえ苦しむ人々や、多くの屍の山としての人々も描かれています。この「人間の痛み」に向き合い続けた丸木夫妻は、原爆の図だけでなく、南京、水俣アウシュビッツ、沖縄などの絵を、その生涯をかけて描き続けました。

丸木夫妻が自らの「痛みへの想像力」を広げ深めて描いた作品の前に立つとき、私たち自身も「痛みへの想像力」をもって受けとめようとします。映像や写真、文章とまた違った形で胸に迫ってくるものを感じた人は少なからずいるのではないでしょうか。

この他者の「痛みへの想像力」、今を生きる私たちにとって最も重要な「ちから」の1つだと私は思っています。

 

丸木美術館で長年学芸員をされている岡村幸宣さんはその著書の中で「痛みへの想像力」について次のように綴っています。

「戦争だけでなく、かたちを変えた暴力は、いつの時代も存在します。公害や原発事故、貧困、差別、偏見…。私たちの社会は、そんな構造的な暴力の上に成り立っていると言えるでしょう。人は誰でも、自分の痛みには敏感になります。けれども他人の痛みを感じることは難しく、遠い国の人の苦しみは、忘れてしまうこともあります。だからこそ、最も弱い立場の人の痛みに、想像力を広げる必要があるのだろう、とも思います。」

 

現在、日本においても世界においても“ミーイズム”、「自分さえよければいい」「自分の国さえよければいい」とする、利己主義、自国中心主義(自国第一主義)の風潮が広がっていると言っていいでしょう。

これは決して他人事ではありません。

全国の公立小中学校の保護者を対象に調査したところ、「経済的に豊かな家庭の子どもほど、よりよい教育を受けられるのは『当然だ』『やむをえない』と答えた人は62.3%に達した」との報道がありました。6割以上の人がこうした教育格差を容認しているとのことです。

世界を見渡しても、自国第一主義が台頭し、人権や民主主義、国際協調といった言葉が後回しにされているように思います。社会そして世界において「分断」が進んでいると言ってもいいかもしれません。

 

自由の森学園の教育とは、自由と自立への意志を持ち、人間らしい人間として育つことを助ける教育」だといわれています。

この「人間らしい人間」とは「痛みへの想像力」を持ち続けようとする人だと私は思っています。人間は他者の「痛みへの想像力」をもっているからこそ、人と人が支え合ったり助け合ったりしながら社会をつくってきたのだと思うからです。

 

丸木美術館の岡村さんはこのようにも綴っています。

「真の現実を覆い隠そうとする『現実』の皮を引き剥がし、一見変わらない光景に潜む取り返しのつかない変化を暴き出す想像力こそ、私たちに必要とされているのかもしれません」

 

「痛みへの想像力」は「見えないものをみようとする力」「真実を見抜く力」へとつながっていくのだと私も思っています。

 

さあ、いよいよ卒業です。

どんな時でも、「 痛みへの想像力 」を持つ人間の可能性を信じ、また、自らも「 人間らしい人間 」としてあり続けるために学ぶことを続けていってほしいと思っています。

 

 

塾長が、荒井校長の言葉を読み「自分の感情を込めて、これを最後の塾の話とする。以上。」と締めくくられ、平成22年4月から続けてこられた粒々塾を、今回(83回講義)をもって発展的解消とされた。

 

講義録を記しながら、これまでの講義はもちろん、開塾から共に学んできた塾生、入会した塾生、退塾した塾生、そして、開塾の翌年に起きた東日本大震災。9年を振り返ると様々なことが思い出される。

粒々塾の講義内容は、本当は真剣に考えなくてはならない事なのに、普段は仕事や生活に忙殺されていることを理由に向き合わず、そのままにしているテーマがほとんどで、講義に参加することにより、物事の気づき、なぜそうなのかを考え、他の塾生からもヒントやアドバイスをもらいながら、自分の答えを見つけだす、深い学びの機会でありました。

面倒で後回しにしがちなテーマと向き合い、自分の中で結論を出してゆく。考える事によって、自分の意見や考えがまとまり、仕事や個人といった様々な場面で、自分の考えや問題に対する解決法を導きだせるようになる訓練の場でもありました。

塾長にあらためて御礼を申し上げたいと思います。

ありがとうございました。

                                  (宮川記)

 

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