第81回粒々塾講義録

現代にジャーナリズムを問う 〜さよならテレビ〜

報道媒体の変遷のなかでテレビ報道を取り巻く事象を検証しながらジャーナリズムとはどうあるべきかをテーマに塾は進められた。

さよならテレビ
このサブタイトルは「東海テレビ」が制作した番組のタイトル。
自社の報道局にカメラを入れて、そこから映し出される実相をノーナレーションで「問題提起」したもの。
テレビ局の派遣労働者の問題。
「上」への忖度。
取材したくても出来ない社内の風潮。
それらの姿を通して、今のテレビへの警鐘を鳴らしたものだ。

時代の変遷と今日のTV
ネット時代が黒船のように到来し、これまでテレビや新聞が主役だったジャーナリズムの世界をネットという新しいメディアが侵食してきた。現代では主役が変わりつつある状況にある。新聞やテレビとネット上媒体の違いは何処にあるのかから掘り下げて行った。

決定的違いは、従来のジャーナリズムはこつこつと取材を重ね裏付けを持った報道。
一方で、ネットから流れる情報には裏付けもないし、どこまでが事実かもわからない。あやふやな氾濫する情報。
ジャーナリズムとは権力批判が大きな一つの役割だが、今ではNHKですら権力側の情報伝達機関に成り下がっている。

塾長は、例として最近発生しているパリのマクロン大統領への抗議デモを引き合いにだした。デモでは、警察と民衆がシャンゼリゼ通りでの衝突の姿を映し出している。この状況を報道する側の立ち位置はどこから見るのが正しいのかという塾生への投げかけがあった。
装甲車まで出動している警察隊の後ろ側がら見て考えるのか、民衆の後ろに立ってものを見るのかで景色は変わる。
ジャーナリズムの定義を権力批判が役割と考えるのであれば、民衆の後ろ側にいて民衆の目線から権力の間違いを見つめ報道し、権力の“実像”を伝えていくべきか。
この問いかけをされたとき、私は綱引きの中心でジャッジをする審判のように、綱の真ん中で見るべきなのではないかと思った。が権力側と民衆側では持っている力に大きなハンデがあり、1:1の関係では勝負できない。だからこそメディアの力を発揮し権力側の横暴や誤りを指摘していくことにその意義があると思った。

また、考える材料として他の事例も話された。
昨日閉会した国会では、今後大きな問題が予想される重要案件を、短時間かつ数の力で一方的に軒並み法案を成立させた。これをNHKでは安倍内閣が大きな成果を上げた国会と報道した。これと比較し、アメリカのトランプ大統領とCNN記者とのやり取りの中で、発言を封じるためにマイクを取り返そうとした女性に対し、記者が体に触れたセクハラ行為としてCNNの記者を排除した。この一連の政府の行動に対し、大統領支持側にいるといわれている報道機関でさえもこのジャッジには異を唱える声明を出すなど、ジャーナリズムの気概は失っていない。
今のジャーナリズムのあり方を問うことや、報道を通して何が正しいのかを考える努力の必要性を塾長は強い思いを込めて説かれたように私は受け止めた。
また、最近はジャーナリズム側と政権との距離感もなくなっていることを危惧していた。
政権側の都合のいい報道内容や、「学者や専門家などによると・・・」のような主体的な意見がない報道。これはジャーナリズムではないと。
考えてみれば、記事を書いた記者の強い主張が伝わってくるような記事は最近お目にかかってないような気がする。

話は変わって最近テレビから流れる4K・8Kテレビ
「画素数が飛躍的に大きくなり、きれいな映像でテレビが見れますと。・・・」
しかし、今よりさらに映像が奇麗にみえることよりも、人やコンテンツにお金を投資するべきではないかと指摘された。報道は一つ一つの真実の積み重ねでその事柄の本質を伝えることにある。ソフトよりもハード重視、設備よりもコンテンツ、その大事なところに投資されていないことが、報道の現場が仕事ではなく、作業になってしまっている大きな原因だということ。その事実は、報道を享受する我々の知る権利や気づきにも大きく影響がおよぶことを肝に銘じなければならないことだと思う。

安田純平さんのこと
フリージャーナリスト安田さんがテロリストから解放され日本に帰国した。
待っていたのは「自己責任論」という“同業者”からのバッシングの嵐だった。
本当の考える材料は、今の時代、このようなジャーナリストが命をかけ真実に迫る報道を試みねば「真実」は伝わらないということだ。
かってのベトナム戦争時と新聞社の「社を挙げての報道」とは全く様変わりし、新聞、テレビも紛争地に記者やカメラマンなかなか出さない。なにかあったら「社の責任」が問われるからだ。それらの媒体に代わって取材しようとしたフリージャーナリスト。
塾長はこの議論に自己責任を問うべきではないという意見を示していました。本当の事実を伝える価値があるからといわれた。
自己責任の連呼は、私も違和感を感じていたが、目先の損得の議論はいかにも浅はかと感じる。価値という視点で考えることが大事だと思う。

最後に今の新聞やテレビに対し、ファクトの積み上げでしか大衆の声を引き出すことは出来ないこと。そして新聞テレビは事実を記録で残すという役割に立ち返って復権しなければならないと力説していた。

最後にポツリ「今の日本人おかしいな〜」と・・・

紹介図書 若杉 冽著「東京ブラックアウト」

(記 Mocch)