第70回粒々塾講義録

テーマ「現代を考える」〜言葉の現在地〜

今、我々が生きている社会とはどういう社会なのか。
格差社会とは何か。インターネットやマスコミから発せられる情報の数々。何が正しいのか、それを考えるにはあらゆる価値が氾濫しすぎており、混沌としていると言わざるを得ない社会。

民主主義は壊れてしまったのか?。今の社会からは。

一部の若者には、平和を得るための戦争が存在するという“パラドキシカル”な意見も出される時代。それを問いかけられた時、答えが用意されていない、答えを持ち合わせない時代。

社会には課題と問題が存在する。

問題は解決出来るもの、または人から与えられるもの
課題には答えがない。なぜなら自分で見つけるものだからだ。

問題は課題になりうる。その答えを導き出すためには、自らで考えることであり、知識はいらない。

今から10年前の言葉、出来事を考える。その一つにKY(空気読めない)という言葉があった。
10年一昔というが、10年と言うスピードは、昔の感覚と今とでは違う。

10年前のKYは空気読めないだったが、今では逆の意味に取り上げてもいいのではなかろうか。

10年前、AI(人工知能)もドローンもなかった。
現在、平然と入り込んでいる。
技術の進歩が人の働き、暮らしを変えた。
「10年後存在しないかもしれない 本と言葉と職種と我と」 佐々木 定綱 が詠んだ句だ。
本も、ワンクリック、ポチッとで自宅まで届く。
遺伝子の操作で目の色、知能、肌の色まで操作できる。
技術は我々をどこに連れて行くのだろう。
社会を便利にするのか、監視するのか。

では、今から10年後どんなコトバが残っているだろう
フェイクニュース・・・そもそもはジャズのなかで崩すという意味だったがそれが、嘘に変わってしまった。こういうたぐいのものは残る。
今のフェイクニュースは広告収入と繋がっていて、儲かれば、終わってしまう
だれかが面白半分でやったことが社会に影響を与える。

ポストトゥルース
真実以降は、真実のあとは、直訳はそうだが、もう一つの真実と訳されている。   
最近ではイギリスでもそうだったEU脱退、客観的な事実ではなく感情的な訴えが政治的に与える影響

ファクトチェック→政治家が言ったことをチェックする

我々は走り続けてきた。

戦後、経済成長を目指して必死に走ってきた。
昭和39年東京オリンピックが一つの契機だ。”欲望“は飽き足らなかった。

欲望をくすぐる経済活動。
途中に立ち止まればなんとかなったのか?夢のある良い国、それは人それぞれでわからないが一億総活躍社会の裏に潜むのは?どの世代も活躍する社会
必要とされる社会を目指す。
過去の「一億総火の玉」と言ったスローガンを彷彿とさせる。

スベトラーナ・アレクシェービッチ  ウクライナノーベル賞作家の話しがあった。

3回ほど福島訪問し、「ただひたすら聞き、それをそのまま書き綴ることが文学」と言い、
日本人には抵抗という名の文化がないと語る。(和を以て尊しとなすという、倭人文化も
関係しているのでは?と個人的にみる。)
以前紹介された茶色の朝という本のようになるのか?

講義を拝聴して民主主義おいて大事なことは客観的な視点を持つ上で
知識、教養は最低限必要かと

(佐藤記)