第61回粒々塾講義録

テーマ「あらためて「言葉」について」

「初心に立ちかえり、もう一度、言葉のはなしを中心にすすめたい」。塾長の言葉で講義が始まった。 

講義をふり返れば、第1回から8回までのテーマは「言葉」だった。
絆、平和、おもてなし、さまざまな言葉について学び、河野裕子のうた、石井桃子の文学、リリー・フランキーの小説「東京タワー」の一節などからも、言葉に裏打ちされた哲学や思想を学んできた。
「死の文化」では、柳田國男のハレとケの話。「大丈夫の怪」では大丈夫という言葉の怪しさ、おかしさの話。「学ぶということ」では、あらためて学ぶことを学んだ。その後、いくつかのテーマを経て「3.11」以降は31回にわたる「東北学」へ。

今回は「東北学」のあとがきとして、「まつろはぬ民」の話しが紹介される。
「まつろはぬ」は「服ふ(服従する)」の否定形。東北人は、阿弖流為アテルイ)を原型とした服従しない民、中央に反発した民。まつろはぬ民だった。
このことを、あとがきで東北学の「核」として考えてみる。

中味が見えない「地方創生」。地方が創生するとは、地方が“自立する”ということ。地方が自立するということは、“まつろはぬ”ことに他ならない。
大化の改新以降、奥州三関の北にある陸奥の国、出羽の国には、先住民族蝦夷(えみし)が住んでいた。蝦夷とは蝦夷(えぞ)。そのもとはアイヌである。
蝦夷(えみし)は政治的に中央に服従しない“まつろはぬ民”。中央から「お前のところは地方だから中央に従え」と横車を押されれば、阿弖流為が怒るのも無理はない。結果、戦に敗れた阿弖流為は降伏して死ぬ。このように中央は勝手に地方を解釈している。

「地方再生」も国から言われている言葉。ならば、これを逆手にとり、地方はその阿弖流為の精神を取り戻すべきではないだろうか。土地の風土、気候、文化に根ざし、東北人がずっと続けてきたことは理にかなっている。それを変えろと言われたら抵抗するしかないのではないか。
明治維新以降、地方は中央に抵抗することをやめ、中央に対する地方という地位に甘んじ、「地方らしさ」を失っていった。我々はそれを近代化と呼んだが、近代化とは“東京一極集中”のことであり、それは現在も続いている。

公共の活動をすべて行政まかせにするのではなく、町の意思決定の仕組みを変え、身の丈に合った合意を目指す試みが必要であり、企業や住民組織が主体的に町を担うといった観点から、地方住民主体の地方創生の力量が問われてもいるのだ。

もう一つの「東北論」。徳一と最澄の話しだった。
徳一。奈良時代陸奥国会津の地に「慧日寺」を創建し、会津の地に仏教を広めた高僧。
宗派は奈良の「薬師寺」が本山の法相宗天台宗の「教義を学べば良い」という中央的な教えに対し、法相宗の教えは「人間はみな共通の世界に住み、同じものを見ていると思っている。しかし、それは別々のものである」。という教え。
法相宗の教理を説明する歌。「手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池」。
旅人が猿沢の池で手を打った。旅籠の人はお客が呼んでいると思い、鳥は鉄砲に撃たれたと思い、鯉は餌をもらえると思い集まってくる。
ひとつの音でも、受けとり方が違い、それぞれの見方、感じ方、価値観が存在することを説く歌。
学問として、教義としての宗教。「これに従いなさい」という上からの宗教。東北の地を歩きながら、下から考え、多様性を持ちつづけた徳一。
徳一は、都で桓武天皇の庇護をうけている天台宗の開祖である最澄や、真言宗開祖の空海と激しい宗教論争を繰り広げたほどの人物でありながら、世にはあまり知られていない。

「歴史は勝者によって書かれる」。私たちは、学んできた東北の歴史、原発事故について、世界全体が歴史を共有できるような「正史」として後世に伝えていく必要がある。これが東北人、福島県人に課せられた使命と言えるのではないだろうか。

東北・福島が先駆けとなるべき「コミュニティー」の在り方、問題点にも話がおよんだ。
コミュニティーを「支えあい」と理解すればいいのか「地域」と訳すのか。その意味は曖昧であり理解が難しい。
「支えあい」の場。最小単位は家族。次に学校。卒業すれば会社、役所といった会社組織に所属する。
家族、学校、会社といった場には常に「線」が引かれており、その線をどうやって乗り越え、違った考えを一つにまとめるかによってコミュニティーは出来上がってくる。コミュニティーとは最小単位の民主主義の場なのだ。この“場”を維持するために、個人は何を優先させ、何を考えなくてはならないのか。今、福島が背負っている一番の問題であり、これまで東北学のメインテーマであった。

もう一つは「持ちつ持たれつの関係」とも受け取れる。この関係は「おすそわけの精神」といった思想の世界にも通じているが、福島の大きな課題は「引かれた線」をどうやって越え、「持ちつもたれつの関係」と同化させることにあるのかもしれない。人々の間にある“ズレ”をいかに乗り越えるかということにつきる。
新しい町づくりをめぐり、人々の間に同じ共通意識を持たせることの難しさを、私たちは3.11によって体験させられ、問題を突きつけられているのである。

そして今回のテーマ「言葉のはなし」。

前回、塾生が読み上げた長田弘の詩「最初の質問」の終わりの二行。

時代は言葉をないがしろにしている。
あなたは言葉を信じていますか。

「信じる」というのは人の「人の言」と書く。この詩人の問いかけは、人の言っていることを信じられますか。ということなのだ。塾長は、塾で続けてきた言葉のはなしと、長田弘の詩に時代的なものを感じるという。私たちは、初心にかえってもう一度「言葉」を学び、考えるべきなのだろう。
その学び方の一つに、やわらかい言葉、表現で鋭く的を射ることが出来る“詩”がある。
詩は日常の私的な言葉を提供してくれる。詩は言葉を取り戻す作業であり、詩を読むと「詩の言葉」は我々が生きる中で最も身近で、大切なもの。
今の時代は、おおよそあらゆる言葉が無力化し、無意味と化した。詩が機能していない時代だとも思える。だから、よけいに詩の世界をもちこみたい。と塾長は語った。

そんな現代、「カタカナ語」が流行り、氾濫している。
カタカナ語に対する違和感はなんだろう。これはカタカナ文字ではなく外国語なのだ。
日本人が使っている言葉は、日本語、漢語、カタカナ語。日本語とは大和言葉と言われるもの。
今の日本では、さまざまなカタカナ語が飛びかっている。

コミュニティー、リスク、ワークショップ、ファシリテーター、カミングアウト、リスペクト、ネグレクト、スクリーニング、インダンドデポ、カミングアウト、ネグレクト、サーバエイランス、スキーム、トレーサビリティーアジェンダ、エンパワーメント、コンソーシアム、パブリックコメントグローバル化など・・・。

イメージも受けとり方も違うカタカナ語では、議論がかみ合わなくなることが多い。
この言語が広がった理由には、流行、ネット・パソコン用語などがあげられるが、そこには空気、時代といった背景要因がある。日本語を使った方が丁寧で気持ちも伝わりやすく、相手に沿った会話が出来ることを、あらためて見直す必要があるのだろう。

そんな外国語氾濫の中、「自由」という言葉だけは、カタカナ語に置きかえられていない気がする。
自由とは、「自らに由る」と書く。つまり、自分自身の考えで行動するという意味。
「まだそこに日本人の“矜持”が残っている気がする」と塾長が言った。

「矜持」とは、日本人として誇り、精神、魂だと自分は考えている。まだまだ、日本人はその精神を無くしてはいないのだと、感じながら終えた61回の講義であった。

(宮川記)