第59回粒々塾講義録

「東北学その28〜福島を学ぶ・福島に学ぶ〜」


今回の塾は塾長の“述懐”から始まった。

あの3.11、東日本大震災から早5年が過ぎた。
5年という節目の中で、中には3.11を忘れたい、考えるのが億劫、面倒、飽きた、という人も居るかも知れない。が、5年経過した事で、私達は福島のあり方と生き方をもう一度考え直し、見直してみる必要があるのではないか。5年目とは、福島県人として背負って行かなければならないことを再確認し、それに、いつまでも拘っていく覚悟をすべき時ではないのかと。

倉元聰の舞台「ノクターン」を観た記憶がよみがえった。そこでは、忘れ去られていく人たちの、忘れ去られていくことの悲しみが描かれていた。風化と3.11。
そもそも「風化」とは風の成せる技であって自然現象なのだが、風評から比べると心の中の風化は早い様に感じる。風という字から思うことは多かった。

「福島から学ぶ」。この例として、その一つとして、川内小6年、秋元千果さんの卒業式での「別れの言葉」が紹介された。
1クラス19人居た学級から、同級生が避難により散り散りになり1クラス1人でじっと我慢し耐え忍んできた、里見先生と1対1での2年間の学校生活。
窮屈さを感じない様に、パンクしない様に、里見先生も出来るだけ雑談をしたそうだ。

その体験を通じて彼女が感じたこと。「大人数も良いけれど、1人も悪くはない。
1人だけど、1人ではない。淋しいけれど、かわいそうではない」。

苦しみや悲しみに耐えてきたからこそ見えるものがあり、この子は何かを見つけたのだ。
そして、自信と誇りを持ち、大きな希望を抱いて、未来に羽ばたこうとしている。と思った。

原発事故と向き合った千果さんの小学校生活。それが教えてくれたのは、「いつまでも被害者意識ではなく、こういう子もいる」ということを我々大人が受け止めることなのだなと。

二つ目の例は、去年も紹介された、立教新座高等学校の渡辺憲司校長の今年の卒業式の式辞だった。その題名は「若さよ、苦しみを越え、希望を持て」。

東日本大震災の復興は、この4年間で確かに進んでいる・・・・・
しかし、この日本にまだ真っ黒な、明るさの見えない町があることを忘れてはならない。

校長は菜根譚の一節を引用していた。
「苦心の中、常に心を悦ばしむるの趣を得、得意の時、便ち失意の悲しみを生ず。」
菜根譚の謂れは、「人よく菜根を咬みえば即ち百事なすべし」だそうだ。
(堅く筋の多い根菜を噛み締めてこそ、真の味わいがわかる)ということだという。

更に校長は旧約聖書のエレミア書の一節を紹介した。

主はこう言われる。泣きやむがよい。
目から涙をぬぐいなさい。
あなたの苦しみは報いられる。と主は言われる。
息子たちは敵の国から帰って来る。
あなたの未来には希望がある、と主は言われる。
息子たちは自分の国に帰ってくる。

つまり、希望は苦難を直視することから生まれる。苦難に目をそらさないで欲しい。苦しみが生み出すのは希望である。あなたの未来には希望がある。そう卒業生に訴えたのだ。
校長は去年も福島の地を訪れたことを紹介してもいる。「福島」は校長にとっての“教材”なのかもしれない。

だから、これらの言葉を引用した校長の気持ちの中に、福島に対するメッセージが含まれているように感じた。

「福島を学ぶ」。福島県人としての我々が福島の実情をどれだけ知っているのかという塾長の問いかけだった。最低限の知識として。
例えば、この国の原発は今は何基か?。今、国が東電に払っている(支援している)金額はいくらか?
正確に答えられた塾生はいなかった。まだ、知らないのだ。知る「努力」を惜しんでいるのだろうか。
厳しい“分析”がされた。

① 知っても意味が無い。という無関心派。
②「誰かが教えてくれる」という楽観主義派。
③「自分から知ろうとしない」という消極派。
④「いざとなったらネット検索」という便利思想派。

我々が福島の現状を知っていないといけないと同時に、福島県人なのに福島を語れない現実。知ることで風化を食い止めなければならないのにだ。
実際、数字は複雑で厄介だが、新たな問いかけが生まれている今日、それを打破しなければならない。

フランスの思想家、ロラン・バルト。の言葉。
「無知とは知識の欠如では無く、知識によって飽和されているせいで、未知のものを受け容れることが出来なくなった状態を言う」。
我々は「飽和状態」なのだろうか。

どこかで知ったつもりになってはいないだろうか?
共有していなければならない情報に隔たりが出来てしまっていないだろうか?

「情報」という問題。福島を悩ませる問題。情報を巡る「過剰反応」と「無視」。
無視は少なかったが、過剰反応はTVやネットで色んなデマを生んできた。
誤ったデマが今でも拡散されている。
拡散してる人がいるのは現実だ。

なぜ「デマ」が生まれるのか。「承認要求」という人間が持つ心理が作用する。
そして、自分が持っている不安を他人に押し付ける事によって自分が楽になるという「作用」も。これは今でも続いているように見える。

今、私達が出来る事、やらなければならない事のヒントが沢山詰まっている内容だった。それを踏まえて福島を学び、福島に学ばなければならない時期に来ているのだと実感した。

塾長から25の設問もあった。全て福島に関する内容だ。
塾生は頭を悩ませ、ディスカッションしながら答えを導いていくのだが、実際分かっている様で、正確な答え、数字には届かない。
しかし、今の福島を学ぶには良い機会を与えられ、再確認出来た時間だったと思う。

そんな今回の塾に感謝しつつ、講義録とさせて頂きます。
橋本 久美江記