第58回粒々塾講義録

東北学 その27 〜明日を前に今日考えること〜

今回の塾の日は3月10日。
それは、70年前の東京大空襲の日。 10万人の人が亡くなった日。
70年前、私はこの世にまだ存在しておらず、その当時のことは知らない。塾長に聞くか、本を読まない限り、自分から学びに行かない限り、東京大空襲のことはわからない。
そして、東日本大震災から5回目の3月11日を迎える。
これから何十年も経てば、この震災のことを知らない人たちの方が多くなるだろう。
私たちは、今、この時代を生きている。今、目の前に課題がある。

「5年目に入るということは、その今ある課題に加えて、また新たな課題が出てくるだろう。それに対してどうしたらいいか、考えてもわからない。すぐに答えは出ない。すると、思考停止に陥りそうになる。でも、考えなければならないのだ。」と塾長。

ちょうど、塾の日から1週間さかのぼって、3月3日。
脚本・演出家の倉本聰さんの舞台公演があり、塾長と何人かの塾生が観に行った。
原町の詩人・若松丈太郎の詩「神かくしにあった街」が、この舞台の根底に流れている。
もともとチェルノブイリの事故について書いた詩であったが、福島と同じ光景が詩の中に存在する。

舞台の上で、何千年もの歳月が流れた後の海の底で、福島の原発事故を知るピエロが3人
語り合う場面がある。
当時を知る人間は、もはや誰もいない。
その場面を見て、塾長は一遍の詩を思い出したという。

「いちばん最後に」という5才の子がよんだ詩、その母親が書き留めた口頭詩。

「地球でいちばん最後の人が死んだら、だれがお葬式するの?神さま?それとも、風?」

ずいぶん前に「青い窓」にあった詩だという。早速高橋陽子さんが補完してくれた。
こんな作品もあると。

「一番最初に生まれた人は、だれのおっぱいを飲むの?」

この詩をよんだ子は、お寺の生まれらしいのだ。だから、小さい頃から「弔う」ということが、身近にあった子なのだという。
子供の感性の鋭さ。

さて、ここからは前回の宗教の話の後半である。

東北における宗教。それは、神仏混淆。土着信仰(柳田国男
もともとは自然の中に存在する神々を崇めていたが、後に入ってきた仏教と融合した。
古代から山間に作られてきた集落には、祖先神が存在した。33回忌までは、仏様。
それ以降は神様になると信じられてきた。

宗教はアヘンである」とは、カール・マルクス(『資本論』著者 ドイツの思想家)の言葉である。
痛み止め=その場しのぎ=根本的な解決にはならないのである。ということなのだが、一般的には「アヘンのように危険なもの」とされてきた。

*日本にはなぜ、宗教戦争が起きないのか。

例えば、カトリックプロテスタントは対立がアイルランドではあった。
自分の信じる神様以外に、他の神様を信じることは、考えられないのだ。イスラムもそうだ。
しかし、日本にはそういった争いや他の宗教を否定するようなことがない。何故か。
そこには、日本人特有の寛容な宗教観があるから。

松山大耕というお坊さんがいる。(臨済宗
彼の言葉 「仏教の違いはカレーに似てる」
インドにおける仏教は、戒律も厳しいが、日本における仏教はさほど厳しくはない。
カレーの同じ。インドのカレーは辛いが、日本のそれは肉や野菜、何でも入ってOK、しかもさほど辛くはない。という意味でのやさしい解説。

前回も出てきたが、イザヤ・ベンダサン著「日本教について」が取り上げられ、この本に見る宗教観が話された。

要するに、信じる神様が違っていても仲良くする、という観点。

宗教とは、「人間の精神」を形成する根本的なルールの集まりである。=憲法のようなもの。
そして、日本教とは、日本人の伝統的思想体系である。
縄文時代から外来的に入ってきたものも加えて、生活する上で絶対に必要な精神を支えるものなのだ。

山本七平によると、日本教は見えない宗教である。

コーランや聖書のような文字化された絶対的誓約書がない。キリスト教イスラム教は、同じ神様の下に、誓約書によって約束を交わした仲間は信じられるが、異教徒は信じられないという考えである。
(※仏教の経典は、誓約書ではない。あれは、お釈迦様に「ゆっくり休んでください」という意味の「音」である。それに文字をつけたもの。)
そして、絶対的超越者(神など)を想定しない水平的宗教である。上下関係がない。
秩序は敬語で保たれる。

こういった観点から、日本教は見えない宗教。見えないから、他の宗教と対立するはずがない。と山本七平は説いている。

*「教育の問題」

話は、教育・教育と自由についてに移る。

生まれたとき、人間は皆健全である。
その後の育てられ方、教育によって頭は変わってくる。「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と言われるが、その通りだと思う。今のうちに、体力があるうちに、たくさん本を読んでおきなさい、と仰った塾長の言葉が、読書をあまりしてこなかった私の耳に突き刺さった。

ここ最近、また「受け身の楽観主義」の傾向がある。
ネットの普及により、情報にぱっと安易に飛びつく。そして、考えることを十分にしないまま、ぱっと簡単に拡散する。これを言論の自由と言えるのだろうか。
自分だけが知っている、という自己顕示力。強い側に立ちたい、優越感に浸っているだけなのではないだろうか。
大人が幼児化しているとも。「成人」はいるが、「大人」がいないのだ。一日中ネットに繋がり、デマを拡散することにかまけている大人。そんな大人たちをこどもたちはどう見ているのだろうか。

<現実と教育との壁>

ある進学塾の先生の話
こどもたちが変わったという。
無口になり、深く考えるようになった。教科書で習った公民と、現実に目の前で起こっている政治との間に大きな違いがある。事実ってなんだ?メディアって?
憲法って?公民って?何?→何?→どうして?なんで?と、自分から主体的に学んでほしい。
思考のループにはまらないで、溺れないで、ゆっくり考えてほしいと塾長は願っている。
教育+道徳=教養
今、若者たちは、既製の事実と本当の事実の違いに気づいてきている。だから無口なのだ。

<教育格差>

社会的な格差→教育格差にも影響が出ている。
現代は、識字率100%と言われているのに、音読させると漢字をとばして読んだり、自分の住所を書けない子もいる。その中には貧しい家庭の子が多い。
現在、生活費・給食費・学用品費などの就学援助を受けている生徒は、公立高校の16%を占める。

H25年度 全国学力状況調査と 親の学歴などの社会経済的背景の関係を分析した統計が文部科学省からだされている。
親の経済的背景が高い方が、生徒の正答率が高かったという結果が出た。
子どもたちには、知的成長率を高めてやる必要がある。

知的成長率とは
①知的好奇心を育てる。
②自分の頭で考える力
③世界に開かれた読解力

本来、教師自身がそういった姿勢で学ばなければならない。
明治時代の初・中等学習→系統学習=「何がなんでもこれだけは覚えなさい。」という方法であった。
第二次世界大戦後→問題解決学習=問題を解決するためにはどうしたらよいか。

系統学習と問題解決学習、2つを統合した方法があってもよいのでは?
教育の現場でも、思考停止が起こっているのではないだろうか。

教育によって、選択肢が狭まってはいけない。(例:大学進学→仕事→人生の最後 狭い)
教育とは、人間ならではの生きていくのに必要な知恵を備えさせるものではないか。


最後に、塾長が懐かしい本を紹介してくださった。
ソフィーの世界』 著者:ヨースタイン・ゴルデル 1991年出版

本からの抜粋、「悲観しすぎるのも、何も考えない楽観主義も世界を前進させることはありません。けれども、悲観と楽観のあいだにはいつも、三番目の範疇があります。それは希望です。希望は、よりよい方向に進むための行動と努力を生み出すのです。」

塾長は、「希望」を「子どもたち」に重ねてこの文章を紹介して下さった。

私は想像してみた。

自分の心の中の希望や夢は、確かに「よりよい方向に進むための」力を生み出すだろう。または、塾長が仰るように「希望」が子どもたちだとしたら、正にそれは未来への力になるであろう。その希望の芽を周囲の大人たちと手を携えて、大切に育てて生きたいと思った。
心の痛む殺人事件の犯人も昔、赤ちゃんだったのだ。ある日突然、悪者に変身したわけではなく、小さな小さな芽が生えていたはずだ。一見些細なことに見える変化が徐々にじわじわと積み重なって、表面張力のようにぎりぎりのところまで来て、溢れたその瞬間だけが、やっと世間に現れた。
痛ましい事件が起こるたびに、女性として子どもを産む自信がなかった時期があった。
自分自身が、「大人」ではない成人な気がして、そんな自分が子どもを導くことができるのか、守れるのか、恐かったのだ。
でも、守ることだけじゃない。子どもたちに見せたい美しい空や海の色、山の緑、目を見張るような世界がたくさんあって、自分がこれまで経験したたくさんの嬉しい、悲しい、いろんな気持ちがあって、素晴らしい仲間がいて。人っていいなと感じる経験をしてきた。
そういうことを子どもたちにもたくさん教えてあげたい。
恐れずに、見せたい、聴かせたい、感じさせてあげたい、そういう気持ちを大切にしたら、自然と「よりよい方向に進むための行動と努力」を生み出すことができるのではないだろうか。そして、それがよりよい学びに繋がると思う。
未来の希望である子どもたちが、きらきら輝いて笑っている
それを見守る大人たちも、きらきら輝いてほほえんでいる。


そういう世界を、何千年後かわからないが、海の底に沈むピエロたちにも捧げたいと願いをこめて。

                               長井 庸子記