第54回粒々塾講義録

「東北学 その23 〰福島を“哲学”する〰」

“哲学”と聞くと、私は心がわくわくする。学校できちんと習った訳ではないのだが、恩師が日常のあれこれと哲学を結び付けて解説をしてくれた。分厚い本の中にある哲学よりも、それはとても身近に感じられた。恩師に悩みを相談しても決して答えは返ってこなかったが、恩師が与えてくれた哲学という「知のものさし」は、私に考える楽しさと、世界には無数の答えがあることを教えてくれたのである。

さて、今回のテーマは福島を哲学する、ということ。前回の塾の内容を受けてのものである。価値観=哲学と考える時、それは誰かの受け売りではなく自分なりのルールや考えを深めていくことだという。哲学とは、よくある金言名句や格言のように、その時、その人だけに通用する「答え」ではない。よりよい生き方を見出していくための「知恵」であり、道しるべのようにも思えた。

まず哲学、という言葉について。英語ではphilosophyであり、ギリシャ語では
Philosophia。知を愛するということなのだが、ではその「知」とは何か。
その疑問に答えるように、日本の思想家、教育家である西周(にしあまね)は、philosophyを「哲学」と翻訳している。「哲」は口と折が合わさった字であり、折=からみあった物事をバラバラに分解するという意味。これに「口」が加わり、言葉で道理を明らかにする、という意味になる。とても分かりやすい。

彼は「物事の合理的認識と、人間の徳の追及。自然と立ち向かうのではなく、
それらと人間とのかかわりを探求することに向かう。」と述べている。
また「歴史の場合も、歴史的事実でなく、歴史の意味の探求に向かうのが哲学。最後にはさまざまな経験を統合する基本的な観念を作る知的努力」とも述べている。表面的な事実を見るだけではなく、その奥にある真実、本質を見抜くことが哲学ということ、と塾長が解説してくれた。

情報過多の時代にあって、自分の頭で考えるということは、逆に一切の情報を断つというぐらいでないとダメなのかもしれない。立教新座高校の学長先生が「沈黙を作り出せ」と言うのも、京都の哲学の道が「ただの道」であることも、自分で考えるために余計なものは必要なく、自分とひたすら向き合う中で何かに出会いに行くことが、哲学するということではないかと私は思う。

哲学者の西田幾多郎は、西田派と呼ばれる独自の哲学を築いた学者である。
彼は「人は人、吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」という言葉を遺し、その言葉が石碑に刻まれている。
今年、「ありのままに」ということが流行語のように広まった。それは「吾はわれ也」ということだと思うのだが、みんなで一斉に「ありのままに」と言い出してしまうと、吾が薄れ、同じく染まってしまうのが実に皮肉に思える。
そう考えると「吾」というのは、他に染まることのない確固たる自己であり、それはわがままとか自分勝手という薄っぺらなものではなく、むしろ自分も他人も尊重するという強い意志そのものではないかと私は思った。

西田哲学の中に「絶対矛盾的自己同一」という基本論理がある。「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて(同一)、現在から現在へと働いていく」
塾長は、対立していることは、実は一体であり、それをどうやって同一させるか。それにはある種の宗教的な悟りに行きつかないと答えが出ない部分がある、と述べており、理解に至るには難しいように思えた。

しかし、次に紹介される西田氏のこの言葉が大きなヒントを与えてくれた。
レジュメには“真・善・美”というタイトルが付けられ「自然と文化とは相反するものではない、自然は文化の根である。深い大きな自然を離れた人為的文化は頽廃(たいはい)に終わる外はない」。これは関東大震災後に述べられていたことだそうだ。
この考えは今の福島にも十分に通じることである。自然を師とし、そこから謙虚に学び続けることが、人間が自然の中で生きていく上で、最低限必要な礼節であるように思う。日本人はそうして暮らしてきた民族だったはずなのだが、いつから変わってしまったのだろうか。

西田氏はまたこうも述べている。
「(略)物は我々によって作られたものでありながら、我々から独立したものであり逆に我々を作る。しかのみならず、我々の作為そのものが物の世界から起る」
塾長は、価値を物に与え、その価値に人間が縛られる。インターネットを作り、そのネットに踊らされてしまう、これは絶対矛盾的自己同一の神髄ではないかと解説していた。
また、人は過去の記憶の世界への逃避によって救われることはなく、むしろ
過去の自分を克服し、現実に向き合わなければならない。私たちは今を生き、常に新たな創造を行っていくべき、という塾長の言葉には、受け身の楽観主義者ではいられないこと、変化という生ぬるいものではなく、より良き方向へ進化していこうという覚悟が必要なのではないか、と問いかけられた気がした。

まだまだ哲学の世界は深まっていくのだが、最後に心に刻んだことを書き記しておく。哲学はとても複雑で、難しいもののように思えるが、一番の哲学者は実は子どもではないか、と塾長は述べていた。

子どもは「何で?どうして?」という素直な疑問を通じ、物事の本質を探究しようとしている。知っていることが増えるたび、分からないこともまた増えていく。ある時、私は子どもたちに「寒い日が続くけれど、あったかいなあと思うこと、物は何か?」と尋ねてみた。ひとりの女児が「新しい子と友達になった時」と答えた。どの辺があったかくなるのか聞いたら「心」だという。
子どもはやはり哲学者であり、詩人でもある。

イギリスの詩人、ワーズ・ワースはこの世に生きることを重荷に感じた時、幼い日々を思い出し、子どもの頃に感じたように、光に希望を見出そうと述べている。「失ったものを嘆くのではなく、残されたものの中に力を見出そうと」。
彼の言葉に触れ、震災の直後、こんな気持ちで塾生が集まり、励ましあったことを思い出した。11月11日、この日震災から3年8か月を迎えた。さまざまなことが風化していく中、自分の中でもあの日感じたこと、苦しみや哀しみ、怒りが薄れていくのを感じる。それは果たして「幸せ」と言えるのだろうか。

塾長は実存主義について、サルトルの「地獄とは他人のことである」という言葉を引き、解説してくれた。実存主義は、不条理と共に生きることを推奨する。私たちは幸福があり過ぎるから、全く満足を得ていない。不幸があるから、幸福を感じ取っている人がいる、と。だとすれば「福島の不幸」は、誰か、他者に「幸福」を与えているのではないかもしれない、という塾長の言葉に私は質問をしてみた。
「それは、他人の不幸は蜜の味というネガティブな意味なのか、それとも、不幸の中に希望を見出そうとするポジティブな意味なのか」と。塾長は前者だと答えた。皮肉を込めてそう考えた、と。
それでも、福島県人は幸福なのか?と問いかけられたら、私たちは何と答えるか。こんな悲しい事は、もう二度と起こさないで欲しい、自分たちだけで充分だと思えるだろうか。引き受けるという覚悟が自分にあるのか、迷うこともある。けれど未曾有の経験をした一人として、私は自分の言葉で震災を語らねばならない。福島を哲学することは、福島を知り、福島から日本や世界を見つめ続けていくことだと思う。それは脚下を照らす光そのものであると私は思う。

(高橋陽子記)