第51回粒々塾講義録

テーマ 「東北学その19 〜農と食から考えること〜」

前回に引き続き、“食”という切り口から、東北について考える講義だった。

安藤昌益は、土=人間であると言った。これを今の我々に言い換えてみると、原発事故によって土が汚されたということは、すなわち我々人間が汚されたということになる。それは、放射能という物理的なことでもあるが、それだけではない。人間と自然との関係、これからの考え方、しいては生き方が汚されてしまったのではないだろうか。福島人だけでなく、この国で生きている限り、汚染と向き合っていかなくてはならないのだ。

二宮尊徳の報徳訓の中に、
身命の長養は衣食住の三つに在り
衣食住の三つは田畑山林に在り
田畑山林は人民の勤耕に在り
とあるように、人間と田畑はお互い様の間柄なのである。人間が食物を食べて生きている以上、今までもこれからもその関係はずっと続いていく。

二宮尊徳の訓えは相馬市の憲章として刻まれている。

その相馬藩士の子として小高に生まれ、県会議員を経て衆院議員となった人物に半谷精寿という人がいた。
不毛の原野といわれた夜の森を開拓し理想の村つくりを進め、その記念に300本の桜の樹を植えた。それがあの夜の森公園の桜である。

その半谷の著書に、「将来之東北」というのがある。その冒頭で、当時の東北の悲惨な現実(磐梯山の噴火、三陸津波、三県の飢饉)さらには、戊辰戦争以降政治的にも経済的にも排除された現実。だからこそ東北の民は、奮然蹶起し、自分たちの新しい運命を切り開いていく時を迎えているとも言っている。

これは、今の東北にも全くもって当てはまるのではないだろうか。
皮肉にも、彼が開拓した夜の森は原発からわずか10Kmの位置である。
(彼の奮然蹶起という言葉の中に原発の受入は含まれていたのだろうか。)とも、講義を聞きながら思ってしまった。

半谷の著作の序文を依頼された、内村鑑三は、「東北伝道―『将来之東北』へ寄贈せんために稿せる一篇―」と題してこう述べている。

「東北の特産物は意志であり魂でなければならない、“地”から得るところが薄いならば、“天”から得るところが厚くなければならない。地位が劣る東北にとっては、“霊”を以って肉に勝つしかない。東北は、正直で高潔な神の人となり、「真理の浄土」で在らなければ、永久的に西南人の奴隷にならざるを得ない」。

今から100年も前に書かれたものだが、西南人を東京に置き換えてみると現在もその状況は変わってないのではないだろうか。経済のグローバル化が進むにつれ、差別社会がうまれ、一次産業従事者の数はどんどん衰退していっている。
日本の食料自給率は40%を切っており、自給率をあげようという方針はあるものの、具体的な政策は取られていない。誰かがやってくれるだろうでは上がるものではないのに。

1960年代、日本の米の自給率100%だった。米が余れば減反政策。不足すれば輸入の緩和。農家の人たちは、猫の目のようにコロコロ変わる政策に振り回されてきた。その結果、従事者はどんどん減り、今の“自給率”につながっているのではないだろうか。

貧しかった東北を書いた小名浜出身の吉野せいという作家がいた。山村暮鳥などの文人とのたくさんの交流を持ち、福島民友新聞などに短歌や短編を投稿していた。また独学で教員資格も取り、小学校の先生もしていた。そんな彼女だが、詩人の三野混沌(吉野義也)との結婚を期に執筆を辞め、それまでの原稿をすべて焼いて、好間の菊竹山で開墾生活に入る。二女の梨花の死など、たくさんの苦労を経験したであろう。混沌の死後、草野心平の強い勧めで、71歳にして再びペンを執る。そして出来上がったのが、短篇集「洟をたらした神」である。
洟をたらした神とは自分の息子であるノボルのことを書いている。
自給自足の生活こそが、小さな幸せの証である。近代の資本主義とは相対するが、すごく自然な人間本来の幸せなのかもしれない。そう思った。

ソクラテスはこう言っている。
「国家の中のあらゆる必要の中で、最初にして最大のものは、生命と生存のための食糧の供給である。食糧は最大の社会資本である。」

時給に換算すると180円とも言われる安い賃金で働き、様々な政策に振り回されてきた農家の方たち。それでも、先祖代々受け継がれてきた土地で食糧を作り続けてくれる。

「人間は食べるために生きている」ということを一番身近に感じているからだろう。

スーパーに物が溢れ、やれどこ産だ、線量はどうだ、賞味期限はどうだなどが最大関心事になっている。一次産業の様子や問題点は“消費者の側”には無い。それはすべて自分に還ってくるかもしれないのに。

ちょっと自分のことを書きます。
私は今、自分の会社の前で畑を作っています。小さな小さな畑だけれど、土作りから始めて、毎日の水やり、虫を取り除き、世話して作った野菜はとても美味しい。お客様にあげると自然と笑顔が溢れる。小さな畑から、小さな幸せが生まれる。
この感覚はなんとも言い表せないが、今風にいうと、すげーヤバイっしょ!


半年ぶりに講義に参加させていただき、改めて学ぶことの素晴らしさを実感しました。
講義録も久々でうまくまとめられませんでしたが、人間として生きている限り、“学び”も食糧と同じくらい大切なものだから、これからも食い続け、学び続けていきましょう!!

高橋大輔 記)