第49回粒々塾講義録
東北学その17 〜民主主義と民意 つづき〜
まずは塾長の講義採録から始めます。
前回も少し触れた立教新座高校の渡辺憲司校長の卒業式式辞を紹介したい。
「福島の海を見よ」
立教新座高等学校 卒業式式辞 校長 渡辺憲司
東日本大震災から3年が経過した。
諸君が中学三年、高校入学を目前にした時であった。十五歳の春から十八歳の今まで、諸君らは大震災とともにあった。これは諸君らの青春の歴史である。
私は、今、諸君がその歴史を踏まえて旅立とうとする時、一つのことを提示しておきたい。それは生き方といった道徳的理念もしくは抽象的理想ではない。
きわめて具体的な提示だ。
「捨てて二時間福島の海を見よ」
あらゆる身の回りのものを捨てて、二時間、福島の太平洋に向き合いなさい。
二時間で十分です。二時間は長い。それで十分です。
体で海を凝視しなさい。身についているすべてのものを脱ぎ去りなさい。
携帯電話。
スマートフォン。
書物も、カメラも。
友達も、恋人も、家族も置いていきなさい。
忘れなさい。自分を取り巻くすべての情報から離れるのです。
あまりに過剰な情報に沈黙を与えなさい。行為として沈黙を作り出すのです。
独として海に向き合うのです。そして感じなさい。
五感を震わせて海を感じなさい。
波頭をその目で見つめなさい。潮のにおいをその鼻でかぎなさい。
波の音を聞きなさい。吹く風を身に受けなさい。
息を胸いっぱいに吸いなさい。
自然を体感するのです。若き体をいっぱいに開いて感じるのです。
新聞やテレビで分かった気になってはいけない。
今からでも遅くない。否、今だからこそ。震災から3年たった福島の海を見つめなさい。
朝、自分の町を出れば、夜、家に帰ってくることができるのです。
すぐ近くで悲劇が起こり、悲劇が続いているのです。
誰もいない海を見なければならないのです。
君は、大人に踏み出したのだ。
君が子どもを持った時、君の子どもはきっと聞くだろう。
「お父さん、震災の時何してた?」と。
君が外国へ行ったとき、君は聞かれるだろう。
「日本の海はどうだ…。福島の海はどうだ…。」
「あの頃どうしていた」と聞かれるのは、君たちの青春史に刻まれた宿命なのだ。
君は「忙しかったんだよ」と答えるのか。忙しいと忘れるは、同源の語である。心を亡くすることだ。
「僕は福島を忘れていたよ」と答えるのだろうか。
福島に対して忙しいと言える者はこの日本にはいない。
福島に対して忘れたと言える人はこの日本にはいない。
おせっかいな爺さんの卒業式の祝辞である。
行ってどうなる。行って何か変わるのか。
上野から常磐線で広野まで。また、仙台回りで乗り継ぎのバスを使って南相馬小高まで。
福島からバスで原の町まで。私は何度かコースを変えて福島の海を見に行った。
海を見た帰り、残された街を歩く。忘れられた街を歩く。
行ってもどうにもならない。私に残されたのは無力感である。
今年の一月は、臼杵(宮崎)、大谷(宇都宮)と並んで、日本三大磨崖仏と呼ばれる南相馬市小高地区の石仏に参詣した。ここは福島原発から20キロ圏内、避難指示解除準備区域である。高さ5メートル余りの千手観音は、修復中でビニールシートが覆っていた。
帰路、海水浴で賑わった村上海岸に立ち寄った。右手向こうの岬を越えれば福島第一原子力発電所である。見事な松林の海岸だったそうだ。今にも倒れそうな松の木が2本身を寄せ合うように立っていた。
小高は、和菓子のおいしい、おしゃれな喫茶店のある町であった。成人式の前日の日曜日、日帰りのみ許された小高に人影はなかった。
福島、浜通り。野仏の多いところである。手を合わせる。絶望のみが広がる。想像は悲惨だ。祈りは無力だ。無力感の行く先を私は知らない。
何度訪れても無力感の出口が見えない。
だが祈りとは何かを、少し身に感じてきたように思う。
無力な自分を感じること以外に道はない。
大きな光は見えないが、かすかな弱い小さな光が見えるはずだ。
二時間、沈黙を作り海を見よ。
無力感が覆おうとも、君の五感は、イエスか、ノーかはっきりと答えるだろう。
十八の春の意味は、高校三年生として大学入学を迎えることよりも重い。
就職しないにせよ、君たちは社会人なのだ。
社会への責任を担うことが、十八の春を迎えることだ。
愛されてきたことに感謝しよう。ここに集えるすべての人の愛に感謝しよう。
そして今日からは愛される存在から愛する存在に変わるのだ。
人を愛することこそ、君らの旅の指針だ。
求めるべきは富ではない。富よりも、名誉よりも、大切なのは人を愛することだ。
器用に生きるな、愚直でいい、ひるまず、真っ正直に、やさしい男になれ。
諸君、春は確実にくる。卒業おめでとう。
「自然を体感するのです。」とあるが、渡辺校長は「自然」という言葉にどういう意味を込めているのだろうか?
「自然」という言葉を辞書でひくと、さまざまな意味がある。
・天然の姿
・人為によらないでこの世に存在する、すべての物や現象
・言動にわざとらしさがないこと。また、無理がないこと
・何もしないのに、ひとりでにそうなること
・必然的な成り行きとして、そうなるさま。おのずと
「自然」という言葉は、「民主主義」と同様、普通に我々の身の周りにあり、何気なく使っている言葉。
3・11で失われ、取り戻すことができないのも自然だ。
光景としての自然を思い浮かべがちだが、「自然体」など心の在り様の意味も含まれる。
今日は東北学として、安藤昌益(あんどう・しょうえき)を紹介する。安藤昌益は江戸時代(1700年代)、秋田の仁井田村に生まれ、八戸で医者をしていた。医学だけでなく、天文、文学、仏教、神道などに精通する博学者だった。日本全国に弟子がいて、多くの人が安藤昌益を慕って八戸まで訪れたという。
この安藤が言ったのが「自(ひとり)然(する)」。
自然は自ら生命するように活動し、循環するものであり、運動の根源たる土活真(どかっしん)が自立的に動いていくその総体を指す。
「土活真」とは?
活真は「いきてまこと」と読み、すべてのエネルギーの根源をいう。五行論(ごぎょうろん)、陰陽五行の「土(ど)」を思考の中心に位置づけ、物事を内部から突き動かす真の力を「土活真」と呼んだ。
「五行」とは、自然に存在するものを生活の基本になっている「木・火・土・金・水(もくかどこんすい)」に分類するというもの。それぞれに意味を持ち、人間の体もこの木・火・土・金・水の5つの要素で考える思想。
渡辺校長は、この安藤昌益の言葉を意識して「自然」という言葉を使ったのではないかとも考えてしまう。
江戸時代の東北地方に、このような考え方を持った安藤昌益という人物がいたということを知っておいてもらいたい。
前回、民主主義とは何か?をみんなに書いてもらったが、そのワークで民主主義とは多様な意味を持つということが分かった。
(民主主義について書かれたメモ)
・民主主義の主体性はどこに帰属するのか?主権がころころ変わる民主主義。我々はいつ民主主義を手にするのか?もう手に入れているのか?合意と納得
・白や黒 でもグレーな社会
・物事を決定する際にその判断に関われる権利(自分の意見や意思を伝えることができる)。個人が個人として尊重されること。99:1でも、1の考えの人が否定されないこと
・独裁ではない社会。個々人の意見を集めて、その国民全体の意見が国を動かす。それと同時に国を動かす責任も国民全体にある
・自由な思想。いろいろな考えを持ち、自由に発信できる。偏った方向性ではなく、自由に考えられる
・民が主でなければならないもの。民が主である以上、民が持たなくてはならない責任があるということ。自由と責任の背中合わせ
・自由と責任。与えられたものではなく、自ら作るもの
・一人ひとり、自分の頭で考えて決めることができる。そのための責任も自分で負うもの。一人ひとりの考えや主張が尊重される。お互いが協力し合える。民主主義=多数決ではない
・民主主義とは自由ではないかもしれないが、自分で選ぶことができるということ。ただし、選んだことには責任を持つ
・正直、民主主義、共産主義、社会主義がよく理解できない。一人ひとりが自分自身で考え、意見し、議論し、物事をより良い方向にしていくこと
・特定の権力者が国を主導するのではなく、志のある人なら誰でも政治に参画できる
・自由がある。しかし、責任を伴う。動かしづらい
・国民が自由・平等であること。国民一人ひとりが国を形成するようなことだと思う(例、政治、国民投票など)
主なキーワードとして「自由」「平等」「合意」「納得」などが挙げられていた。そして、多くの人が民主主義に対して懐疑的に見ていることも垣間見えた。
3・11以降の日本の姿から、「自由」という言葉に対する疑問も生まれたのかもしれない。
塾生から「自由の反対語って何か?」という質問があったが、私が考えた答えは、抽象的には「社会、空気」、具体的には「制約」だ。
では、民意とは何か?
「10〜15人は公平な議論を交わせる。50人いれば意見の一致はない。民意は少数の集団の中でつくられるものだ」と誰かが言った。粒々塾は、まさしく公平な議論ができる場である。
こんな例がある。
数か月前、台湾の学生を中心としたデモ隊が立法院(日本でいうと国会)を占拠した事件があった。台中間のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」を審議することに対し、台湾が中国に飲み込まれてしまうことに不安を抱いた市民らが起こした反対運動だ。
結果的には強行採決されたが、デモ隊の占拠は20日間も続いた。政府はデモ隊が疲れるのを待って妥協案を提示した。妥協案を提示されたデモ隊のリーダーの学生は、デモに参加している学生ら一人一人に意見を聞いてまわったという。結局、妥協案を受け入れることを檀上で表明したのだが、その時、最後まで反対していた一人の学生が手を挙げて発言した。「自分は今でも妥協案を受け入れることには反対だ。だが、一人ひとりの意見を聞いてくれたことに感謝する。ありがとう」と。
このエピソードは、一つの民主主義の本質ではないか。
かたや福島県では、避難指示解除による住民帰還問題のほか、放射性物質の中間貯蔵施設や指定廃棄物減容化施設の建設問題などについて、ようやく住民説明会が行われているところだ。住民説明会は100人以上の規模で行われる。もちろん、放射線や除染などに対する住民の不安は強く、帰りたい人もいれば帰りたくないという人もいる。いろんな意見が出るのは当然だ。話し合いがまとまることはなく、だんだんみんな疲れてくる。住民同士の軋轢も生まれてくる。
みんなが疲れ切ったところで、地域の有力者が「国に任せよう」と言い、それを国が引き取って、最終的には国の方針を住民に押し付けるという構図がある。
政治用語で「ガス抜き」という言葉があるが、とりあえず言いたいことを話させておけば最終的には最初の内容に戻るということだ。合意もなければ、納得もない結論だ。
十分な時間をかけて話し合うことが民主主義なのだが、国は台湾の学生リーダーがやったように、檀上を降りて一人ひとりの意見を聴き、その思いを共有する努力をしていない。
今の日本では、完全な「合意」がない中で「納得」が得られるような議論、誠意を感じさせる努力がなされていない。意見が通らなかった少数派が「それでもありがとう」と言えることが民主主義なのではないか。日本の議会制民主主義では、少数派が尊重されない。小選挙区・比例代表並立制では多くの死に票が出るが、その死に票も民意だ。しかしその民意が尊重されたためしはない。制度としての民主主義の大きな問題点である。
フィンランドの民主主義についても紹介したい。フィンランドは原発推進国だが、反原発主義者の映画監督が映画を撮影するために原発に取材を申し込んだ。そして国はきちんとその取材に誠意を持って対応した。フィンランドという国はすべてを見せることをためらわなかった。これを見て原発に反対している住民はどう思ったか。「ためらわずに情報を公開し、誠実に対応してくれてありがとう。」日本にはこういう民主主義がない。
ルソーの社会契約論は、民主主義の原理である。当時のヨーロッパの王権神授説(国王に反することは神に反することであるという思想)に対抗する考え方として生まれた思想で、「人間は生まれながらに自由などの権利を持つとし、その権利を維持するために個人相互が契約を結んで出来たのが国家である」と考える思想だ。
ルソーは、「一般意思(つまり民意)は、意見の違いが多ければ多いほど、その真の姿を現すことができる」と言っている。民意は多様であるべきものであり、一つにはならないものかもしれない。
板垣退助が最後に刺されたときに言ったとされる言葉は「板垣死すとも、自由は死なず」。犬養毅も5・15事件のときに「待て、話せば分かる」と言った。これらのエピソードを見ても、日本人は昔から民主主義の思想をずっと持ってきたことが分かる。
民主主義は「空気の研究」にも通じるものがある。以前の講義(第16回)でテーマにした「空気」の話で、ついつい私たちは居心地の良さを求めてしまうと話した。その空気に国民全体がどっぷりと浸かってしまうと、抜け出すことができなくなってしまう。居心地の良さに身を置くのではなく、自分の考えを持って自立することが大切だ。
第2次世界大戦でA級戦犯とされた東條英機のエピソードがある。
明治天皇が「四方の海 皆同胞と思へども なぜ波風の立ち騒ぐらん」と詠んだ歌を聞いて、東條英機はすぐに戦争を回避すべきという天皇の意中を察し、その方向に動こうとした。しかし、その時にはすでに軍も国民の世論も戦争に向けて突き進んでいた。当時の東條英機でさえも世の中の空気を止めることはできなかったのだ。
今日の話は会社経営にも同じことが言える。同じ目線に立って、共通の課題を共有し、話し合うことが大切。プロセスを大事にすることは東北人の良さでもある。「民主主義は自分の中にある」と自分を指させるようになろう。一人ひとりが声を挙げ、流されない自分を持つようにしよう。
≪講義を受けて≫
講義を受けた後、野地さんが「『自由』は『自然』にも置き換えられる」と言い、橋本陽子さんが「人の真の姿は自由であり、自然な姿。真でない姿は不自由であり、不自然な姿」とまとめてくれました。まさしく私たち人間は「自然」の一部であり、本来は「自由」なのです。それなのになぜか、不自然なものを作り出し、自分で自分の自由を奪ってしまっています。本来あるべき姿に戻ることができれば、どんなにか楽になるのだろうと思います。それでも不自然、不自由な環境がなくなることはないでしょう。そんな世の中を生きていくために大切なのが「空気」に流されない確立した自己を持つことなのだと思います。
粒々塾は、「空気」に流されない確立した自己を持つための研鑽の場。もっと幅広い知識や考え方を学び、自己の礎を盤石なものにしていかなければいけないと改めて思いました。
冒頭で紹介された「福島の海を見よ」を聞いて、震災から3年が経った今でも県外の学校の卒業式でこのような話をしてくれる人がいるという事実に救われた思いがしました。そして同時に、深く反省もしました。私は震災後一度も福島の海を見ていません。もちろん新聞やテレビ等を通してその惨状は見ていますが、自分の足を運んできちんと海と向き合ったことはありません。まずは海という自然と向き合って、自分の「無力感」を感じることから始めなければいけないと思いました。
三部香奈