第48回粒々塾講義録

テーマ「東北学その16 ~民主主義と民意〜」

第48回目の粒々塾は、和歌山大学学長山本健慈氏と立教新座中学校・高等学校校長の渡辺憲司氏の式辞の紹介で幕が開けた。

和歌山大学の学長の式辞は、今年の卒業式で述べられたもの。先の東日本大震災時の取り組みを通じて「学び続ける」ことの必要性と意義を発信したものだった。そして、学ぶことの価値と意味を体験した学生たちに民主主義社会の姿とは何かを説き、学んだことを行動で体現し、それを阻害するものに抗する気概を持つことの大事さを説いた、教育者としての思いがこもった素晴らしい餞の式辞だった。

また、立教新座高等学校校長の式辞は、卒業式が出来なかった2011年3月に綴られたもの。大学に進学を目前に控える生徒に対し、大学に行くとは「海を見る自由を得るためのものではないか」と投げかけます。大学という一生のうちのわずかの季節を「時間を自分が管理できる煌めきの時」だと定義します。そして、その自分が管理できる貴重な時間を流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすなと説きます。つまり考える時間を与えられたものの責任として、物事の真理を追究し、行動に変えられる自分をつくり、日本復興の先兵となれとのエールでした。

いつものレジメの配布もない中で、上記の2つの式辞の紹介から始まった今回の講義。

「塾長は、何を引き出そうとしているのか」などと考えていると、一枚の白紙が配られた。

前回の塾の中で、次回の宿題とされていた「民主主義とは何か」というデーマについて、
自分の考えを白紙に書くというワークショップのような展開に。

それぞれが自分なりの考えをメモにまとめると、それを回収しシャフルし、ランダムに再配布した。
そのうえで、人の物の見方、考え方と自分の考えをリンクさせながらディスカッションに入った。

大きいテーマだけに遠慮がちに発言していた塾生たちも、自分と異なる視点からの意見などに触発され、次第に活発な意見が飛び交う。

ひととおりの意見が尽くされたところで、レジメが配布された。
今日の講義のテーマは「民主主義と民意」。

講義は、アメリカ合衆国政府の民主主義の定義と日本の「五箇条の御誓文」を材料に、アメリカ民主主義の考え方と日本の民主主義のベースを学んだ。

今、政治の場で行われている憲法解釈に関する議論や震災復興に関する道筋を考えるとき、物事の本質を知らずして進むべき道は見いだせない。
政治の場で安く使われている「民意」という言葉も、民意とは何かという理解なしに簡単には使えない。

今回の塾は、聞くこと中心のスタイルから考えることを主体とした構成だった。
次第に「塾長は、何を引き出そうとしているのか」という疑問への答えが見えてきたような気がした。
歴史や言葉、我々を取り巻く事象、事案に対し、一歩踏み込んで考える習慣を持たせてくれようとしているのだ。

「学んだ知識は行動に変化させることで、はじめて成果に結びつく」ということを肝に銘じて、学び続けたいと思う。
(望月記)