第47回粒々塾講義録

東北学 その15 〜支援から自立へ〜


県外へ旅立ち暮らす高校生たちへ”。

今回の講義録をこのような意味をこめて書いてみます。

県外へ旅立つ高校生たちが、自分たちが福島出身だということを周囲の人に伝えるか伝えないか、真剣に話していたという話を聞きました。
私は、その高校生たちの背中をそっと支えられる大人でありたいと思いました。
若い彼らの心は純粋で想像以上に柔らかく、想像以上にたくさんのことをまっすぐに受け止めているでしょう。
私は聞いたことや、教えられたこと、学んだこと、それらを高校生たちへ届けるのも役割の一つだと思っています。彼らの背中を押せる人間に育っていきたいのです。

東日本大震災から3年という月日が経ちました。2011年に高校に入学した人たちは、今年が卒業の年です。その年にふさわしい、埼玉県のとある学校で、校長先生が卒業生に贈った式辞のことを聞きました。
その学校の生徒たちは東北にボランティアに出かけ、数多くのことを実践で学んできました。そしてその学校は福島県の高校生や中学生を暖かく受け入れてきました。

その中に、私自身も胸に留めておきたい言葉がありました。

「熱い胸と冷たい頭」という言葉です。

意味を想像できますか?目の前に困っている人がいたとして、助けを必要とする人たちを思って、その人の力になりたいと願う「熱い胸」がなければならない。しかしその時の情熱だけでは判断を誤ることもある。その情熱を生かすには、どのような方法や行動が必要かを見極める冷静な判断力、知識、すなわち「冷たい頭」がなければならない、という意味だそうです。
そして、自分が知っているだけの狭い範囲で判断していくのではなく、広い視野を持って学び続けることが必要です。

それは、一人だけではできません。仲間と一緒に学んでいくことで、そんな見方があったのか!と驚くこともあるでしょう。そんな考え方もあるのか!と道が開けることもあるかもしれません。自分と違う考え方をする人と対立するのではなく、認め合うことが必要なのです。

学ぶということは、仲間とつながること。
学ぶということは、社会に参加すること。
学ぶということは、自分自身を発見すること。

その学びの場に私は立ち続けるつもりです。あなたがたもそうあってください。

私が学びの場としている塾では、常に「復興」ということ、言葉について考えています。

あれから3年経った今、何が復興を妨げているのか、それは復興にはそれにかかわる人それぞれの、一つ一つのイメージがある。ということが理解されていない。みんな同じ方向を向いていればいいという同調的な考え方に陥っているからではないでしょうか。


今回の塾の様子を簡単に紹介します。
テーマとして挙げられたのが「支援」から「自立」へとうことでした。

「支援」と「自立」について何でもいいから思いつくまま挙げてごらん、と塾長が問いかけ、塾生それぞれが言葉を自由に発言しました。

<塾生の中から出たことば>

「支援」       「自立」
花瓶     ⇔    花
助け・サポート     独立・孤立ではない
思いやり       自給自足
受け身    ⇔    主体
強者     ⇔    弱者
            一人・覚悟
作ってあげる  ⇔  作ってもらう
支援してあげる ⇔  支援してもらう

それらの言葉から、“相関図”が出来上がっていきました。

強者と弱者、被災地の人たちはいつまでも受け身のままでいると見られているのではないでしょうか。被災地は、全国から世界中から応援してもらっているのも事実。そして、甘えていると見られているのもまた事実だと思います。
震災以後、ものの見方、考え方は人それぞれだということが浮き彫りになってきて、様々な分断や軋轢が生じています。仲間外れを恐れて、本当の自分の思いを隠してしまうこともあります。

でも、「みんなと一緒が心地良い」と感じる同調意識の中では、自立心が欠けてしまい、自ら考えることは少なくなります。ここから抜け出すことが、「自立」に繋がるのではないでしょうか。
つまりは、復興を妨げているもの。それは、同調意識、受け身、依存、支援という名の支配、その場しのぎの解決策に同調して染まることです。

自分の本当の想いや考えを大切にして、自分と違う考え方を持った人たちをどこまで寛容にみられるか、認められるか。その上に、対話が成り立つのです。
私たち福島人は、原発事故のことで無意識のうちにそれを経験してきました。
人間、皆違って当然なのです。そのことを大震災は改めて教えてくれました。

「Adversity makes a man wise」 = 逆境は人を賢くする

艱難汝を玉にす = 人は、困難や苦労を乗り越えて立派な人間になる。こんな言葉も思い出してください。

東北の人たちは、震災で学んだことがたくさんあります。
支援してもらう、受け身の構造とは逆に、東北が日本に教えたこともたくさんあります。
震災後4年目、私たちはもはや被災者ではいられません。

自立=使命感、責任感だとも思います。

かつて、福島原発で最後は自分たちで守るという使命感をもって自分の仕事に取り組んだ吉田所長のように、自立の中には、当事者意識が必要です。
自立した東北人となり、自分たちが経験したことを語り、受け継いでいくこと。
そして、中央が忘れようとしている不都合なことの蓋を開け、今の福島の現状や、自分たちの考えを胸を張って主張しなければならないと思います。
それが、震災を経験した私たちの責任なのです。
これは、「一生ついてまわる復興」なのです。

最後に塾長はジグソーパズルに例えて仰いました。
復興は、震災で壊されたパズルのピースをひとつずつ拾い、埋めていく作業。
すると塾生の中から意見。「支援という中でピースを拾ってもらったのだとすれば、それをはめていくのは、やはり私たち東北人の役割なのではないか」

私が思う、このジグソーパズルのイメージ。
まったく同じ元通りの絵にならなくてもいいのではないでしょうか。
きっと、このパズルは意味があって壊れたのだと思うのです。ひとつひとつのピースの形、いろんな形があるということ、たくさんの個性あるピースで成り立っていたんだということに気づいてほしくて、壊れたのかもしれません。
私たちの世界を形成していたピース、鵜呑みにしていたこと、あまり考えずに通り過ぎていたことを丁寧に見つめて戻していく。もしかしたら、型にはめる必要はないのかも。
ガタガタしていてもいい、それもまた違った味が出て、以前とは違った自由な福島県、東北になれるのかもしれないな、なんて希望を抱いているのです。

人生の先輩たちや、福島出身だと伝えることをためらう子たちと一緒に、未来の東北パズルを胸張って作って生きたいと思っています。

                       福島県人    長井 庸子 


以上が私なりに書いた講義録です。<< おまけ >>に一言。

「支援」と「自立」という言葉から連想するものを挙げていった時、
K氏から、「花瓶」と「花」という発言がありました。

「花瓶」=器は、花を活けて器としての役割を果たす。
「花」は、花瓶に入っている水があるおかげで生き生きできる。
この二つは、お互い様なのです。

「支援」と「自立」も同じであるという。私の中にあった「わだかまり」が一つ消えたような“見方”でした。