第46回粒々塾講義録

ちょうど3年が経過した3月11日が塾。
その「3・11から学んだこと」というのがテーマ。
塾生一人一人がその事を考える、話すというのが命題。

冒頭、塾長から若干の前ふりがあって。

まずは数字としての現状認識。

死者は、15、844人、行方不明者は2、633人。関連死は2973件。被災者、避難者は26、7419人。高台移転の達成率は6%、被災3県の復興住宅率は9%、その中で福島県はたったの2%。

3年の節目を迎え、我々は何を学び、東北学を踏まえて今後何をすべきか?何をしなければならないか?

“過去に目を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”。その言を引いて、「盲目にならないためにまず現在を知ろう」というのが主旨だったと。

「3・11」を境目に、それまでの“平和で平穏な日々”は終わった「3・11」後が始まった。
そして、3年が経過した今日、ヒトの価値観、生き方、あり方なども、ライフスタイルも変わるはずだったが。

“高度経済成長”の代名詞は原発であった。国家の物語としてのエネルギー政策。事故後に、現在も存在するのが避難者という国民の物語としての原発

こんなCMソングが紹介された。
「明るいナショナル、みんな、家中、なんでもナショナル」というテレビCM。
皮相的だ。ナショナルとは国民だ。国民みんなが「明るさ」を求めた。


今、福島には13万人を超える避難者がいる。「明るさ」とは正反対の座位に。

日本の人口は減少傾向。4、50年後には8000万人になるといわれる。東北地方は特に過疎化と高齢化が進むだろう。労働力もいない、雇用も無い。そんな「未来予想図」がある中、本当の復興とは一体何なのだろう。


震災関連死。その中には自死の人もいる。将来の希望が見えないとして。仮設の暮らしに疲れ果てて。震災から2、3年がピークの“復興ストレス”のピークだと阪神淡路大震災の経験が語っている。

何が一体本当の復興なのであろうか?

人間の復興とは何か。人はしばしばそれを「外」に見つけてきた。希望、それは外にあるのだ。外から来るのだと。国を含め、それに縋ろうとしてきた。自分自身が主体性になる事でそれが希望へと繋がってくる。そういう考えにはなっていなかった。

震災から4年目。これからは支援から自立へと考え方を変えなければならないかもしれない。

自立とは復興の一番手としての農業と漁業もある。巨大防潮堤の事でも、最初は作って欲しいと思った住民も、その“無意味さ”に気付いてきた。

被災者の子供達は高校を卒業し、東京の大学に行ってもUターン就職をして地元の企業に就きたいという。又は漁師、農家は、家業を継ぎたいという。自分たちの地元は自分たちで取り戻そうと。

モノに頼らない「地域の自立」。それが郷土愛に繋がる。モノの復興からヒトの復興へ。

個々が自分の状況判断で選択し、自分の意思を持つ事。それが“自立”という意味かもしれない。

こんな前ふりがあったあとの「3・11で学んだこと」塾生各々からの意見。

欠席者によるメールより
・日野氏
原発に対して無関心、無知であった事を恥じながら、国に対して大きな不満を抱えている。原発との共存にジレンマを感じながら、福島だけに問題がのしかかっている気がする。
福島に生きる一人として3・11を知れば知る程、戸惑いが深まる。
・高橋氏
震災での変化が大きかった。家族、移住、転勤。そして、今の暮らしがあるのも周りの人達のお陰で感謝しながら日々を送っている。横浜の移住は初めは負い目に感じていたが、それは避難生活ではなく、福島人として学んだ事を発信し続け、精一杯生きていきたい。

出席者の塾生
・野地氏
被災者としても塾生としても、国家としての「震災」よりも国民としての「震災」に目を向けるべきであろうと思う。東北学で学んだ事を端的に言えば「東北の歴史とは中央に搾取されてきた歴史」ということである。そして東日本大震災はある意味「搾取」の集大成であるかもしれない。
・長井氏
ふるさとの大切さ、愛しさを再認識した。明治維新で一般の人々が生きてきた様に一人一人が大切なコマの集まりに寄って時代が形成されている。自分もコマの一つであり、一人一人が選択して歩んでゆくことの大切さを学んだ。(コマ=塾の一粒の麦の一節にも共通する。)
・望月氏
以前のテーマでの「受け身の楽観主義」が印象に残る。物事には必ず裏と表があり、自分の目を養っていく事が必要であり目に触れて学んで考える。温故知新の様に古く大切な事を学びながら行動しつつ意識をしている。東京の良い所を東北が頂いても良い。
・菊池氏
日本が嫌いで海外に出たが日本の素晴らしさを改めて学べた。表面的な見方でしかなかった原発も学ぶきっかけとなった。物質的な復興と人としての復興を併せて自分が思うところをアクションとして起こして行きたい。ボランティアの参加は続けている。
・橋本陽子氏
①言葉の力に支えられた。自分達の言葉で励ましたり勇気付けたり。しかし、使い過ぎたり乱用してしまい、言葉は擦り切れてしまうものである。
②日本人としてのあり方(和の心)自分の根っこを考えさせられた。
③当事者感と想像力。一人一人の死の迎え方も多種多様で想像力がモノを言う。戦争の事を知る上で人間としての想像力がもたらされていると強く感じている。
・吉田氏
ヒトは言葉に依存してきた。言葉に酔いしれてきた。しかし、使い方を間違えると怖い。
震災後、判断と覚悟を強いられてきた。これは今まで無かった感覚である。公務員としての立場から被災者と支援者の立場を使い分けてきた。郡山としての立地からの立場があいまいである。支援と自立は立場(東京vs東北)でも違う。
・渡辺氏
震災後、情報が溢れ過ぎて正しい事と正しくない事の考えが流されている。東北学を学ぶにあたって今ある状況を考える様になった。そして何が出来るのかも考える様になった。
意識や目的を持って行動していきたい。
・山川氏
栃木出身であり、東京に住んだ事もあり、東京への憧れは今も尚あるが、震災後の被災県の復興が未だに進んでない現実を目の当たりにして、気持ちの変化があった。福島の郷土愛や地元に目を向ける様になった。
・宮川氏
自立という観点から捉えると、農業と漁業が主になってくる。支援なしの自立では今でもまだ難しい。自立とは何かを考えると答えを出すのが難しい。

・橋本
現実には東京や大都市などで未だに風評被害が存在しており、まだ福島県民が忌避されている状況にある事を感じた。原発事故による放射線災害が原因だろう。風評被害を払拭する為には、今ここで生きている、生活している自分達が福島県の情報を正確に発信していく義務がある。微力ながら自分の出来る範囲で沢山の人に想いを伝えていきたい。

以上

橋本久美江記