第45回粒々塾講義録

「東北学その13〜明治維新から見た戦争」

1941年から始まったこの国の戦争は幾つかの名前がある。
大東亜戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦
興味深いことに、天皇陛下はこの戦争を「先の大戦」と呼ばれた。
そういう意味では“名前のつけられない戦争”だったのかもしれない。
これをどう読み解いてみるか。
先の大戦」を理解するならば、縦の世代、横の世代の話を聞く必要がある。 

□戦争を知っている世代。
□戦争を知っている“ふりをしている世代”。
□ふり逃げ世代。 
□知らなくてもよかった世代。
□知りたいと思うようになった世代。 様々な立ち位置がある。

福澤諭吉明治18年に創刊した、新聞『時事新報』の社説に彼が執筆した
『脱東亜論※』という文章がある。
※(粒々塾メモ2に記載)長文ゆえ記載いたしませんが、実に興味深く、
講義の要の文章でありますので、ネット等で「脱亜論」で検索し、
原文も含め一読願います。

読み終えた読後感はどうであろうか。この文章はアジアに対する差別意識と、
日本人、欧米人の優越意識以外のなにものでもない。
つまり「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」の象徴である。

さて、興味深いのは福澤諭吉がこれを書いたのであれば、
我々が知るあの自由主義者で平等公平な人物像、基本的人権を謳ったアメリカの
独立宣言を引用している人物とは甚だ乖離している点である。
これを後にどう捉えていくか。

明治維新以後に起きた日本の代表的な戦争が4つある。
日清戦争 ②日露戦争 ③満州事変・支那事変 ④太平洋戦争 

この四つの戦争を福澤諭吉の「脱東亜論」を背景に大きく読み解く。
1894年日清戦争。この思想が国民の根底にある中での戦争となる。
しかしながら問題はこの戦に「大義がない」こと。
指揮官の陸奥宗光をしても、この戦を「日本と清国との権力闘争」と位置づけている。
いづれにしても日本はたった1年でこの戦に大勝し、多くの体力を蓄え、結果、
日露戦争への備えとしていくのだった。
こうして、「軍事国家」へと体制を整えて行ったとも言える。

1904年日露戦争満州の帰属を巡った日露の争いである。
バルチック艦隊を破り世界の脚光を浴びつつ、同時に膨大な軍事費が国の財政を
圧迫していった(国家予算の4倍にあたる20億円を戦に投じていく)。
ポーツマス条約を締結し、露国は身を引く格好となった。旅順、大連、南樺太といった
領土をおさめた日本は、戦争という立場からすれば絶頂を迎えたといえる。

1937年満州事変。これは日本がしかけたのか、そうさせられたのか定かではないが
いずれにしても、ある地で起きた「点の争い」が大きな戦争に発展したケースである。
戦争の始まりとはいつも「点」から始まる。そして太平洋戦争へ突入していく。

この辺からが実に興味深い。それまで「朝鮮はけしからん」という姿勢をとっていた、
中・露・米国も、日本のアジア南下支配に対しては、一転その態度を大きく変え、
はっきりと「きにくわない」の意思表示をした。アメリカが経済封鎖を敷くのも
この後である。

鎖国開けの日本は、明治維新を経へて、国家(明治政府)を構築し、
富国強兵と脱亜入欧のスローガンを掲げた。

他のアジア諸国が列強の植民地化という辛酸をなめる歴史の中、日本だけは
唯一それを逃れただけでなく、アジアの盟主して君臨し、中国や露国という大国に
戦で勝利する。国民感情としては、「この国はどこか普通の国と違う特別な国なんだ」
という思いを募らせることに繋がる。
そのことは結果として、今まで以上にアジアへの蔑視や優越感が正当化されるだけでなく、
南下政策を批判する欧米諸国に対し、「脱東亜論者」でさえ、
「鬼畜米英」という立場を取り始めるきっかけとなったのであった。
連戦連勝の神国日本は、またもや「神風」が吹くやも知れぬという思いの中、
この一連の空気感の中で、勝機が見えないにも関わらず、真珠湾戦争に
突入していったのかもしれない。それは結果として太平洋戦争へとつながり、
やがて経験したことのない「敗戦」を迎える。
全ての始まりは、偉人福澤諭吉の「脱東亜論」という思想だったのではなかろうか。

そして、「領土欲」「資源欲」「軍需企業の金儲け」。
戦争の裏側にあるのは「欲」だということ。

その後、日本はこの「敗戦」をしかりと見てこようとしなかった。

例えば、A級戦犯に戦争責任をなすりつけるといった構図が敗戦を総括していない一つの現れだ。
一連の経過を経た結果、太平洋戦争で負けたという実感が薄い日本人が出来上がった。

ほとんどの戦争のスタートは自衛熱狂からスタートしている。
指導者やメディアは平和を願うと言いながら、危機を煽って、
国民の期待に答えようと暴走する。これが戦争の構図。
よってこの国はもう一度、同じ過ちを犯すかもしれない…。

【所感】
歴史を線、面で捉えることの重要性は、塾生ならば耳にタコな話ではありますが、
今回もまたそれを強く感じました。
福澤諭吉を点のみで捉えれば、歴史はある意味全く違った見え方をするというのが、
今回の一つの投げかけであると思う。私も含め、塾生は良く「歴史が苦手」を口にするが、
我々は歴史が苦手なのではなく、歴史の見方、考え方、捉え方を教わってこなかった
のではなかろうか。失われた20年世代が多いこの塾で、
この間どこかフラストレーションが溜まった我々はまさに、
「知りたいと思うようになった世代」なのかもしれない。
それは同時に、この「敗戦」をそろそろ総括しなければいけない使命も持ち合わせている。
後半の宴席で、SINさんに「安倍首相が好きか?」と問われ、
「好きです」と答えました。
しかし、これには応じた後も、かなり自問自答しております。
この塾で養った感性を持ち込めば、「点」では好きですが、「線」ではクエスチョン、
「面」にしたら到底好きとは言い切れない。といったところでしょうか?
アベノミクスの第三の「成長戦略」をとってみても、
誰にとっての「成長」なのか問わずにはいられないわけで、
「この国はもう一度、同じ過ちを犯すかも知れない…。」
これはもう一度、塾生全員で問わなければいけない課題ではないかと思います。

この戦争知る・学ぶ・考えるなら、本を読んでみるのが一番良いと思う。
ということで塾長より二冊本をご紹介頂きました。二冊とも読んでみたいと思います!

『昭和史』(1926〜1945)半藤一利平凡社ライブラリー
 非常に読みやすく、主観にとらわれず読める本。

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子朝日出版社
 高校に語る日本近代史の最前線。


                                 野地 記