第34回粒々塾講義録

今回のテーマは“東北学その3、東北人の魂”。

東北に、そして福島にある「誰かが何とかしてくれる。」といった「受身の楽観主義」、前回提起されたが。今回は「根拠のない楽観主義」。塾長曰く、被災者の気持ちもわかるが、政府批判、東電批判のみで溜飲を下げているだけでは問題は解決しない。この被災地で暮らす我々が、何を考え、何をどこへ発信していくのかを考えることが重要なのだと。講義内容を記録する中で自分なりに答えを導きだしたい。

頻繁に使われる、復興、復旧、再生という言葉。
雰囲気、ムードの中で言葉だけが独り歩きしている気がする。
復興とは、ふたたび盛んになること。
復旧とは、元通りになること。
震災前、被災地はすでに過疎の土地。高齢化が進んでいた土地だった。元の過疎の町に戻すことが、復興なのか。過疎、少子高齢化の社会構造に戻すことがいいことなのか。人手不足の中、使いきれない復興予算、津波を防げるかわからない防潮堤をつくることが復興なのか。

真の復興とは何なのか―。
シンプルな問いに考えさせられる。考えれば考えるほど、一義的な定義は難しいが…。
我々は大きなムードに流されず、一歩立ち止まって考え、問い直す必要があるのだと思う。

国、県、市町村長が問題解決でよく使う「住民合意」という言葉も同じだ。
少数でも難しい合意が、800人、1000人で、すんなりと出来るとは到底思えない。
「住民合意」という言葉が、その場しのぎの逃げ文句として使われている気がする。
マイケル・サンデル教授は「合意と納得」について、「これは哲学的な問題。」「合意は無理でも納得は可能。」「そのために我々は、インテリジェンス=対話を磨く必要がある。」と話す。

「納得」には、さまざまな状態、要素、相手、能力からのアプローチが必要だと思う。
「社会構造」と「社会システム」の2つを双方向で捉え、公共事業をはじめとするハードと、そこに暮らす人間がつくるソフトをうまく組み合わせないと、ますます隘路に入っていくのではないだろうか。 「人間」があって、それに従属する形で「住まい」や「都市」という器がある。「都市」があって「人間」があるのではないと私は考える。

フランス経済哲学者セルジュ・ラトウーシュ氏の唱えた“脱成長”理論が紹介された。

「経済成長なき社会発展は可能か―。経済成長は人々を幸せにしない。
なぜなら、成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられ、それが続く限り、汚染やストレスが増えて行く。地球資源が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だ」。

2010年、氏が指摘した言葉を東北に置き換えれば、「物質的な豊かさを達成した「北(都会)」だけではなく、貧しい「南(東北)」も成長を拒否すべきなのだろうか。「北(都会)」による従来の開発は東北に低発展の状態を強いたうえ、地域の文化や生態系を破壊してきた。そのような進め方による成長ではなく、「南(東北)」の人々自身がオリジナルの道を作って行けるようにしなければならない。」

震災前の言葉だが、今の東北にぴったりと合ってくる。

「経済成長こそが貧困問題を解決する方法だ。」と唱える人たちがいる。今の社会システムのままで、それが可能か。社会構造と社会システムの捉え方。その言葉を、これからの時代を読み解くためのキーワードを理解し、東北の人たちはオリジナルの道を作って行かなくてはならない。オリジナルとは何か。何を発信するか。

東北学の原点でもある「心の復興」を前提に、何を考え、何をどこへ発信していくのかをあらためて考えて行きたい。

こんな言葉も紹介された。
「海は大地の偉大な濾過装置。河がどんなに汚れても、海は何も言わずその流れを受け止めて、清めて、また雨にして戻してくれる。人間の心の中にも、その海みたいな濾過装置が必要なのだ」。

東北人にとって魂とは何か。死者の魂は何処へ行くのか。
人間が生きていくための根本的な問題が集約された場所として東北を捉え、東北人の魂を考える。

「故郷に帰りたい。」「故郷を取り戻したい。」被災者の故郷、郷土への強い思い。至極当然のことだが、この中に土着信仰とも言える魂の問題があるのかもしれない。
柳田國男の「遠野物語」。ここに東北人の魂論が集約されている。「死者の霊は山にいる。山から田圃を見守っている。」と言っている。山中他界観。

死生観−他界観。東北における「生者と死者との共生」という死生観。

これと類似する異界概念に、常世ニライカナイ・まれびと信仰がある。
常世(とこよ)」、反対後は現世。永久に変わらない神域。死後の世界、黄泉の国。
ニライカナイ」、琉球語。遥か遠い東の彼方。辰巳の方角。あるいは海の底、地の底。
ニライカナイ思想は、豊かな穀物を作り、豊穣や生命の源。生きている者の魂もニライカナイからきて、死んだ者の魂もニライカナイに帰っていく。琉球人と東北人の思想はどこかで似ている。
「まれびと(稀人・客人)」、まれびと信仰とは、時を定めて他界から来訪する、霊的・神の本質的な存在を定義する。外部からの来訪者、よそから来た人(客人)を歓待するといった東北の風習がある。
これは魂の感覚からきている。よそから来た人を大事にするのだ。

東北人の魂の帰結としてこのことを考えて行かなくてはならない。

高き住居は子孫の和楽。ここより下に家を建てるな。
想え、惨禍の大津波。此処より下に家を建てるな。
幾年経るとも用心あれ。

柳田國男の弟子であり、会津美里町出身の地理学者・民俗学者 山口弥一郎が碑に刻んだ言葉。
宮城・岩手で三陸津波の研究調査をおこなった人物。氏の石碑が宮古市姉吉にある。
明治、昭和の大津波で全戸流失した姉吉集落はその後、石碑より上の高台移転していたため、今回の津波で被災しなかった。2度の大津波の悲惨な記憶、人々の思いを刻んだ石碑が集落を守ったのだ。

あらためて思う。我々は被災地からもっと多くのことを学ばなければならない。

我々の暮す郡山は無傷だった。内陸部のため津波は来なかった。たまたま風に助けられ大汚染はなかった。強制避難はさせられなかった。この地に残っている東北人として、先人の教えを含め、伝えて行かなくてはならない。伝えるために学ぶ、そして考える。大変なことだがそれをやらなくてはならない。

講義の結びに塾長が言った。
「東北学の帰結として、やはりこの国は、道をまちがえてきたのだと思う。間違えた中には私もいた。皆には間違えた道を正しい道に戻してもらいたい…」。感慨深い言葉だった。

東日本大震災から二年が経過した。この間、塾長からは、震災に関する話を中心に様々な講義をいただき、震災を通じて見えてきたこの国と人のありよう、安心とは、暮らしとは、被災地であるが故、そこから見えてくるもの、また、自分自身と東北・東北人を考える機会と学びを得た二年間であった。今、ここで生きている我々が学ぶ「東北学」。この学びがとても大切なことだと感じている。

(宮川記)