第31回粒々塾講義録

〜今、我々にとっての「正義」とは〜

今回は、今年最後の粒々塾。講義録を担当させて頂くこと、光栄に思います。

<考えること>

前回の「正義」について考える講義から、今回は「我々にとっての」正義。
正義を考えることは難しい。難しいから考える。考えることで一つの合致点がある。

 ある時代から、人は「考えること」を止めたという。
なぜ、止めたのかという塾長の問いかけに対して、塾生の一人が答える。
「世の中が便利になりすぎた。ごはんもスイッチ一つで炊けてしまう。」
便利なシステムができあがり、人の知恵がなくなったのだ。
例えばカーナビができ、人は地図を見なくなった。
携帯が普及し、人は電話番号を覚えなくなった。
昔は、ゴロ合わせをして覚えたものだ、と塾長。(塾長の電話は、産婆が200人)
知恵とはユーモアかとも思わせて下さる。

そして、講義は続く。
料理もそうであると。スイッチ一つでご飯が炊け、電子レンジで調理ができる。
一様に同じ味であり、大切な家庭のおふくろの味は、いずれ無くなるのでは。
豊食から飽食の時代へ。
たらふく物が食べられる時代から、食べることに飽きる時代へ。
何と贅沢で、何と悲しいことだろう。
それから、人は、物を直すということも考えなくなった。使い捨て文明である。

このようにして、考えることを止めてしまう事、思考停止は、人にとって危険なことである。
たまたま目にしたこと、人から聞いたことをそのまま自分に取り入れて、
挙句自分の考えのように錯覚してしまう。
例えば、今回の放射能の問題にそれが如実に表れている。

このような時代に「3・11」は、我々に「考えることを取り戻せ」という教訓を与えてくれたの
かもしれない。

<その教訓の中で、「選挙」を考える>

「正しさ」という言葉に置き換えて、今、我々にとっての正義を考えてみよう。

国民は、選挙期間だけお客様になる。選挙後は、奴隷と化す。
だからこそ、今、選挙権を行使すること、参加することは「正しいこと」である。
難しい事→難しくではなく、やさしく考えよう。
今が一番国民が悩まされている良い機会であると捉えよう。
きっと、有権者はそれぞれが「正しい」と思う選択をするであろう。
しかし、その結果がこの国にとって正しいとは限らない。
3年前に民主党を選んだことも含めて。

正しいことの判断は難しい。
ましてや、責任のある人の判断となると尚更である。
双葉町の町長の県外に役場ごと避難したことは、正しい判断だったのか
今も尚、彼を悩ませている。
世の中、誰が悪い、〜のせい、〜の責任というように、相手のせいにすると、
たちまち自分は正義の側に立つ。そして、責任の押し付け合いとなってしまう。

現在の国と地方も、その責任の押し付け合いになっている。
その中での正しさとは何だろう。

震災の主な被災地である東北地方。
ここは元々、急激な人口減少、過疎化、産業基盤の脆弱さという問題を抱えていた。
東北を中心としたこの国の形がそうさせたのだ。
原発を喜んで受け入れる人なんて、本当はいないはずだった。
反対だった人もいたはずである。元々あった上記のような問題が受け入れさせたのだ。
そして、その判断に慣れ、やがて日常となっていった。
原発について考えることも止めてしまい、安全だと信じるようになった。

事故が起こって初めて真実を知り、意識をした。他人事として捉えられなくなった。
世の中には、何かが起こるまで、知らないということがたくさんある。(トンネル事故、水俣病など)
全てを知りようがないのだから、仕方ない。
知らないが故に、穏やかに生活ができるということもある。
しかし、知ったからには、もう他人事ではない。

<これからの時代を考える上で、大切なこと>

・本当の意味での危険とは何か。
・経済発展。
・絶対と言われる安全。
・科学とは何か。

未解決の問題は、先送りにされていく。
12の政党で、納得のいく答えは誰も持っていない。

過去、現在、未来。
これまでの過去はおぼろげにわかった。
未来は誰も知ることはできない。

今を生きる私たちが、考えられる正しい答えを見出さないと
それがわからないと、未来は描けない。


<「福島の正義」とは。>

塾長は、福島の正義を考える前に、まず
企業にとっての正義とは、と質問を投げかけた。
塾生が答える。
「雇用と利益を確保すること」と。
しかし、経営者と雇用される側との間に必ず意識の違いがあると
また他の塾生が答える。

国と我々との間にも似たような構図が見られるのではないか。

国にとっての正義、福島にとっての正義。
その間に流れる川のようなもの。
それをどのようにして埋めていくのか。

今を生きている者として、もはや「他人事」として傍観してはいられない。
「もう一遍、考えることを自分の懐に落とし込んで」と心をこめて塾長。
塾生の一人も、意見を述べる。
「正しいという字は、一と止まるにわけて、一度止まって考える」

福島に生まれた者として、また福島に生きる者として
それぞれが今いる場所からの目線、「徹底した下から目線」で
自分の目で見、耳で聴き、心で考え、自分の言葉で語っていくこと。

「今」を一つ一つ丁寧に生きる。
それが、我々に課せられた使命であると思う。
やがて、それが川のような分断線を埋めることに繋がり、未来を創っていく。

長井 庸子 記