第32回粒々塾講義録

2013年最初の粒々塾。今回の講義内容は、東北学・今「東北」を考える。

まず福島を知ることからはじめてみようということで、今回の講義ははじまった。
福島県の地名は、面白いものが多い。
例えば、阿武隈や安達太良。阿武隈は、かつては安福麻と表記していた。
智恵子抄で有名な安達太良は、阿多々羅(アタタラ)。
かつてこの地にいたアイヌの人々の言葉で乳首の意、
もしくはタタラ=製鉄の意があったと塾長。アイヌ人は北海道の土着の人々という
イメージが強かった私は、アイヌの人々の文化が福島の地にまでいたということに
大変驚いた。そして、今はその面影を意識することがほとんどないということも。

311の東日本大震災で全世界から注目を集めることになった双葉郡
なぜ、あそこにある原発が「双葉原発」でなく「福島原発」と名付けられたのか。
県名が付けられた原発は福島と島根だけだという。
マスコミが福島原発と毎日言うたびに、遠く離れた会津にまで風評被害が及ぶ。

復興の一助になるかもしれないというNHKの大河ドラマ、八重の桜。
八重が落城の折に城の石垣に書いたという歌が紹介された。
知っていた人はほんおの数人だけだった。

双葉郡の地名の由来はなんだろうか?興味深かった。

双葉郡とは、戦国時代に岩城氏の領土だった楢葉郡と、相馬氏の領土だった標葉郡が、
1896年に合併して成立したものだ。
旧標葉郡は、相馬氏が治める中村藩による政策で富山県からの開拓者を入植させた地域。
その後、高度経済成長期に首都圏への電力を供給するエリアとなっていく。

東北全体が、かつて蝦夷と呼ばれていた時代がある。
蝦夷の指導者は、阿弖流為と母禮という人物。しかし朝廷より派遣された
征夷大将軍坂上田村麻呂により滅ぼされるという歴史がある。

塾長は問う―「もともとこの地、東北に暮らしていたのは蝦夷の民。
しかし、侵略者である朝廷軍の坂上田村麻呂を祀った神社や碑があるのはなぜか?
侵略者をまつり受け入れた東北の人々とは何だろうか?」

福島県に住むまで私は東北に対して、関東に比べて雪深い土地というくらいの
イメージしかなかった。塾長は言う「いわゆるドラマのおしんの世界観」が
まさに東北のイメージではないだろうか?と。

我慢や忍耐、貧しい暮らし。これが東北に対する東北地方以外に住む人々の
イメージではないだろうかと。侵略者にも従い祀るというのは、
蝦夷に住む人々のもつ我慢や耐え忍ぶという下地があったからなのではないだろうかと。

あの大震災から2年がたち被災した東北三県は復興にむかっている。
しかし、政府と東北3県の間でギャップや意識の差が生まれているのではないだろうか?
政府は豊かな国造りや経済成長を求め、それが復興になると信じている。
しかし、本当の意味で東北に目を向けられるのだろうか?塾長が塾生に問いかける。

まず「足元を知る」。そこから始めなければいけないと。余りにも知らないことが多すぎた。

東北学ということで、福島の話を中心に講義が進んでいきますが今回はここで時間。
次回講義につづきます。

                                         山川記