第30回粒々塾講義録

今回は記念すべき30回目の講義。
テーマは 〜この国にとっての、今の“正義”とは〜
非常に難しい。
だからこそ、考えて欲しいとの事だった。
「思考停止」という言葉から始まった。
インターネットの普及により、検索にて全て知りうる事が出来る。
書き込むことにより、そこで考える事が終了する。
深く考える事が無くなる。
書物を開き、探す・調べるという事は面倒だ。
だが、インターネットで瞬時に答えを導いても、その答えを正確に
覚えられるかといえば難しい。
書物を開き、読み・考えることによって覚えられるものではないのだろうか?
「考える」という事は難しい・つらい、だが楽しいものである。

「正義」とは
だれにとっても必要なものである。
正解は無い、いろんな正義がある。

パスカル
「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。
 しかし、それは考える葦である」
葦は、強い風が吹くと倒れる。風が止むと、また立ち上がる。
樫の木は、強い風が吹いても倒れない。強い風が何度か吹くと根元から折れる。
考えてこその人間、考えてこその成長。

「国家の正義」、「法の正義」。例を挙げての話。皆、いろいろ考え、意見を出した。
塾のひとつの形だったと思う。

考えることが面倒になってきているという世の中。だれかがどうにかしてくれる
だろうという他人任せの世の中。
考えていると、より他のことも知りたくなってくる。知ってまた考える。
それが、自分を成長させる。成長させるということは、考えることに他ならない。
それが感想。

正義  広辞苑、正しい筋道。人が踏み行う正しい道。



justice
「社会全体の幸福を保障する秩序を実現し、維持すること。プラトンは国家の各成員が
 それぞれの責務を果たし、国家全体として調和があることを正義とし、アリストテレス
 は能力に応じた公平な分配を正義とした。近代では社会の成員の自由と平等が正義の
 観念の中心となり、自由主義的民主主義社会は各人の法的な平等を実現した。これを
 単に形式的なものとみるマルキシズムは、真の正義は社会主義によって初めて実現され
 ると主張するが、現在ではイデオロギーを超えた正義が模索されている」
「社会の正義にかなった行為を為し得る個人の徳性」

国家の正義 戦争の正義 法の正義 個人の正義
それぞれの思想・利権等が複雑に絡み合い、主張するものか?
ここにも、正解はない。
個人の正義に関しては、塾の話でもあったが「正論ばかり言う人は嫌われる」といわれる
とおり、あまり振りかざすものでは無いのかも知れない。

                                 石塚 弘樹