第16回粒々塾 講義内容

今回のテーマは“空気の研究”。
「空気」とは何か。大気としての空気だけではなく、今この日本を覆っている様々な空気についての話でした。大震災後、「被災地を支援しなくては…」・「絆」・「一つ」・「頑張ろう」といった言葉を含めた空気が生まれました。あれから半年。我々を取り巻く環境、雰囲気、ムードは月日とともに変わってきたように感じられます。

汚染された空気が運んでくる世の中という空気。放射能が怖いという空気。汚染という言葉に敏感に反応する空気。放射能に対する恐怖を取りあげる本が店頭に並ぶ空気。なんでも東電のせいにする空気。経産省原子力安全保安院の隠ぺいに怒る空気。政治に対して怒る空気。節電ファシズムといった空気。
雰囲気、ムード以上に風評、世間、世論の風潮といった空気がこの国に蔓延し、我々はかって無い緊張状態の中、原発に囚われた日々が続いています。
まさに塾長が言った「3・11シンドローム」に陥っているのだと思います。

山本七平著「空気の研究」の記述によれば、日本社会には「空気」という非常に強固な「判断基準」があるそうです。過去の無謀な戦争、戦後公害問題など、その時々の空気によって、日本の社会は致命的な状況に追い込まれたことを知りました。
この空気は日本特有のもので、西欧と日本を比較文化すると、西欧は一神教社会。日本は汎神教社会。八百万の神一神教多神教といった価値観の違う思考軸が空気にも影響していることを知りました。

空気には物理的空気と、感情的空気。論理的基準と空気的基準があり、我々日本人の判断基準は論理的基準と空気的基準のダブルスタンダードになっている。たしかに「その時、その場の空気が許さない。」など、空気的な判断をしていることが多くあると思います。
講義の中で、政治も空気支配。政権交代、閉塞感も空気。抜け出したい空気が政権交代につながったという話が出ました。たしかにそうだった。我々は「空気」によって致命的な判断ミスをしてしまったのかもしれません。

いったい「空気」とは何なのか。
塾長曰く「だれも答えられない。答えようがない。そして、根拠のない空気(妖怪)に支配された社会というのはとても危ない。」そうおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。
我々塾生は、空気の虚構に引きずられることなく、過去の過ちを繰り返さないようにしなければならない。大事なことは個々人の価値観の確立。ぶれない人生観の確立。広い意味での哲学を持つことだと今回の講義で教わりました。

ソクラテスの言葉。
「人間が人間である由縁は、どう死ぬかではなく、それまでをどう生きるか」。
我々は今を生き抜くためにも「空気」とは何かを知り、これからも学ぶ必要があると感じました。

                                  (宮川記)