第17回粒々塾 講義内容

2回分の講義を休み7月以来出席すると、望月事務局長から
「今回公嗣は前回休んだから、今回まとめを書いてもらいます。」と・・・

なんだ?なんだ?粒々塾ではそんなことが始まっていたのか!
それに今回はその2の講義じゃないか!その1の講義を受けていない俺に書けるのか?!
挙句に第一回目は伸ちゃんが書いて素晴らしいものだったと、
塾長はじめ皆が賞賛している。なんだか次の人はとても書きづらい「空気」(雰囲気)だ。
でも大丈夫!いつもカラオケでは歌のうまい人の次に歌わされて皆が歌いやすい
「空気」雰囲気にするのが俺の役目。今回もやってやろうじゃないかそんな役目を。
皆は肩の力を抜くつもりで読んでください。

まず講義の最初は、あらためて「空気」とは。風評、雰囲気、流れ、人の目・・・
昔は空気のような存在になった夫婦。のように「空気」を良いもの、
なくてはならないものとして扱っていた。
最近では、あいつは空気だよって言われたら無視される存在になってしまう。
若者が「空気」という言葉をあまり良くないことに使っている事が多い。
これは例えとして使うときの「空気」。状況を説明する時は、判断基準。
集団の思いや気分、世論、民意になる。
「空気」を読める人。読めない人。読もうとしない人。様々なタイプの人がいる。
読めない人は技術なので習得してほしいと思うが、問題は読める人が、
読んだ後どう行動するかだと思う。
震災以降「原発反対」、「被災者支援」、「絆」、「頑張ろう〜」
そんな言葉を皆が口にし始め、原発は必要なんだよとか、
頑張ろうって言われてもなんだかやる気が起きなくて・・・
なんて口に出せない「空気」(雰囲気)になっている。
原発!デモをしている人たちは、電力不足で停電になって1日かけて作った書類や、
思い出たっぷりの写真データが吹っ飛んでも文句は言わずに「原発やめたいんだからしょうがない」ってあきらめてくれるのだろうか?
デモしたってすぐ原発稼動停止しないって分かっているから、いや、わかっていても、大きい声で「やめろ!」って言っているのかな?
なんてとも言えない雰囲気(空気)だ。

塾長は、空気を変えるのは「水を差す」ってことだ、日本人は上手い知恵を持っていると言われた。
「水を差す」ことは勇気がいることだけど、誰かがやらなければ空気(雰囲気)は変わらない。水を差すことは、間を作ることだ言われていたけど、たしかに、どっかで水を一杯飲む余裕があってもいいな。
「空気」に引きずられることなく理性を保つためには、空気とは何かを理解し、その特性と影響を把握して、自身と社会を相対化できるようにしなさいと・・・
「空気(雰囲気・風)」を作り出すものは、メディア、ネットの情報、噂話等であるが、それが必ずしも正確で正解ではない。「空気」自体が誤りである可能性を含めて、情報を受け入れなくてはと思う。実際メディアやネットの情報・噂話が不正確な情報だったことも多い。若い頃噂話に同調し調子に乗って話した時は、後から恥ずかしい思いをすることが多かった。

我々塾生は、塾長から気付きをもらい、学べたのだから、情報リテラシーという言葉を忘れず。空気(雰囲気)に流されることない情報の確認をし、ぶれることない自分の生き方、哲学を確立し、集団が空気によって間違った方向に進もうとしている時、水を差せる人間にならなければいけないと思う。
「今の自分は、過去の自分の結果。未来の自分は、今の自分の結果。」未来の自分のために今しっかり生きよう!「空気」に流されることなく自分を見つめ直しながら・・・
(上野記)

情報リテラシー(じょうほう - 、information literacy)とは、情報 (information)と識字 (literacy) を合わせた言葉で、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のことである。「情報活用能力」や「情報活用力」、「情報を使いこなす力」とも表現する。"