第65回粒々塾講義録

『民主主義を考える 〜言葉の“多様性”〜』

東日本大震災から丸5年が過ぎた。3・11が近づくと、メディアはこぞって震災を取り上げる。そして、当日が過ぎるときれいさっぱり話題から消えてしまう。まるでクリスマスのようだ、と思う。いくらメディアが3・11を区切り・節目に仕立てようとしても、私たちにとっては「通過点」だ。

「復興」とは何だろうか。どうなれば復興なのだろうか。世の中が復興という言葉で安易に括られている。一人ひとり「復興」の捉え方は違うだろうし、場所によって何からの復興を目指すかも違う(ここ郡山は「原子力災害」からの復興と言えると思う。)。だからこそ、復興とは何かを答えられる自分を持っていなければならない。まだ自分の中では答えが出せずにいるが、“巷にあふれる「復興」という言葉を皆が使わなくなったとき”が1つの復興の証なのではないか、とふと頭に浮かんだ。

高橋源一郎氏が5年間書き続けてきた朝日新聞の論壇時評が、先月最終回を迎えた。震災直後の4月、第1回目に書かれた言葉「壊滅した町並みだけではなく、人びとを繋ぐ『ことば』もまた『復興』されなければならない」。最終回では「壊れた社会が「復興」されるとき、それにふさわしいことばが生まれているだろう。」と続けられている。

民主主義とは言論の場である。言葉で話し合うことによって成立しているはずだ。そして、その言論とは自由であるべきである。しかし、未だに福島を誹謗・中傷し、風評を広める者があまりにも多い。福島を訪れる者は多いが、「福島を知り、理解し、その上での社会の不条理」を言っている人はまだ少ない。それが今の日本の現状なのだ。

大災害は、戦争も含めて、言葉の暴力を生む。今の世界を覆うテロも同様に。そして、言葉の暴力は差別に通じる。差別をするということは、ある種の優越感を覚えるということに他ならない。そんなことを考えると「民主主義」という思想が失われてしまったのかと感じてしまう。

民主主義国家であるアメリカで、トランプ氏がなぜ支持されるのか。彼の憎しみや分断、差別を意識させる過激な発言の数々。批判されるべき言動も、どこかではそう思っている人たちがいるのが現実だ。人間は過激な言葉に酔い、惹かれるもの。その結果、世の中に「同調」が起こる。同調は、社会の中で一種の安全弁として働く。今の世界を見る上での1つのキーワードなのではないか。

ドイツ告白教会の牧師「マルチン・ニーメラー」の言葉
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

廃炉とは何か。どうなれば廃炉なのか。「復興」と同じく「廃炉」という言葉も一人歩きしている。原発を停止しただけでは廃炉にはならない。核燃料・放射性廃棄物を全て取り出し、処分できて初めて廃炉になる。1万年経ってもなくならない核のゴミが残る事実と共に、廃炉とは何かを考えなくてはならない。

2011年3月11日、この国で暮らす全ての人々の時間は一度止まった。誰もが、心に大きな傷を負った。それがゆえに、日本人の心は一瞬ではあるものの、確かに一つになったはずだ。しかし、それからの時間は、時計の針が違う速さで進み始めた。それは、寄り添っていた心が少しずつ離れて行ったということを意味している。それが感覚的にわかっているから、「絆」という言葉がもてはやされ、離れて行く心を繋ぎとめようとしたのだろう。

同様に、被災地の内と外で生じる分断を食い止めるため、「復興」という合言葉にすがるようになった。言葉が壊れたのだ。そして、皆言葉を見つけられなかった。政治やメディアが語る言葉も全く意味を持たなかった。「風化」という言葉も今や死語に等しいように思える。

2011年3月11日午後7時38分、テレビで一斉に原子力緊急事態宣言が発せられた。そして、この宣言は現在も継続している。この国は未だ非常事態のただ中にいるのだ。そんな中、原発の再稼働が許されてしまう。

個は民主主義を考える上での基本となる。憲法13条には「すべて国民は、個人として尊重される」とある。ところが、自民党改憲草案には「個人」を「人」と書き改めている。個性や人格といった意味合いを含む個人と、いわばホモサピエンスとしての人には大きな違いがある。個人を尊重することが「個人主義」を助長し、それが日本をおかしくしたという考えがあってのものだそうだが、個人主義が利己主義と混同されていた頃があったからだろうか。

3・11で、私たちは語れる言葉を失った。ならば我々はどうすればいいのだろう。語り始めた被災者の話をまずはひたすら聞く。聞いたらそれを消化して、自分の言葉で他人に伝えられるようにする。人は言葉によって、経験していないことでも想像して理解することができる。そうやって言葉を交わしながら、自立した「個人」同士が繋がる。その先に次の社会をつくっていく知恵や発明を生み出していく。これを実現することが、「文明災害」としての3・11を社会として記憶していくことに繋がる。

社会問題となっている不登校児は、小中学校15万人、高校生1万3千人いる。要因として、貧困やいじめ以外に考えられることがある。それは言葉の問題だ。子どもたちが求める言葉と、教師や親の発する言葉に大きな齟齬がある。ありきたりの言葉で接しても子どもたちはそれを見抜き、不信に繋がるだけだ。本心で語り合うことだ。

教師、深澤義晃氏の言葉
「考える」とは
新しい発見をすることだ。
自分の頭を使い、
自分の言葉でものをいうことだ。
自分の目で確かめた事実の中から、
真実をひき出してくることだ。
それをくらしとつなげてみることだ。
そして、自分をふくめた人間に
できることだけを信じることだ。
ひとりひとりがそうした考えを出し合い、
それを土台にして、
新しい考えをみんなで組み立てていき、
みんなのものにしていこう。
みんなで決めて、
みんなで行動する力は、
ここから生まれ、ここから育つ。
そのとき、きのうとちがう人間になる。

シャルリー・エブド事件を契機とし、宗教や思想を異にする他者とどう向き合うかを問われる中、最近、フランスで最も読まれている本にヴォルテールの「寛容論」である。普遍的原理はただ一つ、「自分が人にして欲しくないことは自分もしてはならない」。「寛容」、そして「愛」は、ウルグアイ大統領であったムヒカ氏がよく口にする言葉であり、聖書には「愛は寛容であり、愛は情け深い」という一節がある。寛容と愛は一対のようなところがある。

また、ヴォルテールの思想を表した代表的な言葉が「あなたの意見には反対だ。しかし、それを主張する権利は命を懸けて守る」。相手を否定・排除することなく、先ず議論をするということ。このことが今、欠けている。

民主主義の原点として、まず「個人」が尊重される。個人が尊重されるということは、「多様性」が認められること。個々人の多様性を十分に認識し、相手の意見を否定することなく、互いに言葉を交わして論じ合う。しかし、私の個人的な感覚として、日本では「寛容」の意識が薄れている。それは特にSNSに顕著に感じられる。何かあれば否定・排除しようとする動きは一度起こると爆発的に広まり、対象者は徹底的に叩かれる。おそろしさを感じずにはいられない。「自分が人にして欲しくないことは自分もしてはならない」、この言葉は子どもの頃親から教えられたものだし、自分も子どもに教えている。何も難しいことではない、当たり前のことだ。そんな当たり前の考えが、社会に取り戻されることを切に願う。まずは自分にできることからはじめよう。

最後に、言葉の限界を表しているようにも感じられる以下の詩が紹介され今回の講義は閉じられた。

詩人・田村隆一「帰途」
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

〜小林宇志記〜