第41回講義録


テーマ「東北学その10 〜原点に立ち返る〜」

講義を前に塾長からのお言葉
「もう一度、塾の原点を確認しよう。この塾は、学ぶという志をもった者達の集いの場ではないか?」と。
塾長の話は、講義後の懇親会や、掲示板で活発な意見交換がなされないことへの問題提起だった。
塾生皆なぜこの塾に入会したかを振り返る。
思いは同じ。「学びたいから。」であった。
塾に臨む姿勢を改めて確認し、原点回帰の話へと続く。

※「初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三つよくよく口伝すべし。」
世阿弥「花の鏡」より
「初心忘るべからず」
物事に慣れてくると、慢心してしまいがちであるが、はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない。というのが一般的な解釈であるが、世阿弥室町時代に能を大成した人物であり、彼の言う「初心」とは「始めた頃の気持ちや志」すなわち「初志」ではなく、「芸の未熟さ」、つまり「初心者の頃のみっともなさ」ということ初心者の頃のみっともなさ、未熟さを折にふれて思い出すことにより、「あのみじめな状態には戻りたくない」と思うことでさらに精進できるのだということ。

世阿弥の言葉は、以下につづく。
「時々の初心忘るべからず。 」
若き日の未熟な状態から抜け出した後、年盛りから老後に至るまでの各段階で年相応の芸を学んだ、初めての境地を覚えておくことにより、幅広い芸が可能になる
「老後の初心を忘るべからず」
老後にさえふさわしい芸を学ぶ初心があり、それを忘れずに限りない芸の向上を目指すべしと説いている。

※「古の道を聞いても唱えても我が行いにせずば甲斐なし」 日新佼いろは歌
昔から伝わる賢者の素晴らしい言葉を、ただ聞いて、覚えて、そらんじて唱えたところで、何の役にも立たない。
大切なことは、それを実践実行することであるとの教え。

「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」空海
先人の行った「結果」や「やり方」を求めるのではなく、その人がなぜそうしたのか、それによって何を求めようとしていたのか、どういった想いで、どんな志でそれをしていたのか・・。そして、それを行いにしよう。ということ。
「なぜそうしたか」と考えることは、己に慢心がないこと、「なぜそうしたのか」を考える過程で、その「やり方」が見えてくる。のだと思う。

※学ぶ・知る・考える。その三つは循環している
人から教わるのではなく、自分たちで学ぶ。垂れ流しで知識を得るのではなく、自分で取りに行くということが大事である。
学ぶといえば、当塾の指針である佐藤一齋の言葉

少くして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、 則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。

「子供のころからしっかり勉強しておけば、大人になって重要な仕事をすることができる。大人 になってから更に学び続ければ、老年になってもその力は衰えることがない。老年にな ってからも尚、学ぶことをやめなければ、死んだ後も自分の業績は残り次の人々に引き継が れていく。」
訳から改めて学び続けることの大切さが伝わってくる。そして、学び得たものを語る、発信すること。
それも立派なアクションである。
人は語り合いの中で気づきを学ぶ(by亮介さん)

※東北学というテーマ。「3・11」を忘れてはならない原点。
なぜ東北は遅れているのか?なぜ東北は過疎なのか?なぜ高齢化が進むのか? 東北でしか生きたことないのに、何も知らずに生きてきた。
「被災」を考えた時、形だけの議論ではなく、“東北学”を通し、東北の発祥から現在までの歴史や文化、政治的背景を知り、自分たちの中でそれをしっかり受け止める。
「生きた東北学」を学んできた。理不尽、不条理への怒り。
世間の風潮に流されず、東北人の誇り・東北人の魂を忘れてはならないとあらためた思った。



※歩歩是道場
いま、自分が置かれている立場、状況は、そのまま自己を磨く道場である。いつであれ、どんな所であれ、心がけ次第で自分を高める修行の場になる。また、そういう生き方をしなければならない。(余談ですが、尚志高校の教育目標に「即是道場」がありましたが、同じような意味でした。)

※実語教(江戸時代の寺子屋の教科書)
「山高きがゆえに貴からず、有るをもって貴しとす」
「人肥えたるがゆえに尊からず、智あるをもって貴しとす」

山はただ高いだけでは貴いとは言えず、そこに木が生い茂っているからこそ貴い。人も体が大きいだけで立派だとは言えず、知恵を持つからこそ貴いとある。



「人学ばざれば智なし、智無き者は愚人なり」

賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかだということ。
この言葉からも学ぶことの大切さが読み取れる。先人の教えを受けながらなぜそうしたか考える。そして、学び得たことを発信(議論)する。この過程がいつでもどんな時でも、自分を高める修行の場になり得るのである。今まさに、東北学を学んでいる私たちが、東北について議論できることを、幸せなことだと感じた。

※常懐悲観 心遂醒悟
深い悲しみも、じっと耐えて、自分の心の中に常に温めていれば、やがて心が覚醒し、悟りに導かれていく。
東北は悲しみをもっている。3・11だけじゃなく、今までの長い歴史の中でも。でも、東北人はじっと耐えて、和の精神で生きてきた。フクシマに住む私たちは、風化させないように語ること。

ダライ・ラマの言葉
「私たちの住む家は大きくなったが、家族は小さくなった。ますます便利になったが、時間はますますなくなった。学位は多くなったが、分別は少なくなった。知識は向上したが、判断能力は衰えた・・・」。
示唆に富んだ言葉だった。そしてー。
「失われた富は勤勉によって元どおりに出来るかもしれない。失った知識は勉学で、失った健康は薬で取り戻せるかもしれない。しかし、失われた時間だけは永遠に戻ってこない」。

黒澤明の言葉
1985年に作った「夢」という映画で、原発のことを描いている。黒沢明のメモが紹介されたが、そこから見えてきたのは、「限りない利便性求めるのではなく、どこかでライフスタイルを変えることを考えなくてはならない」ということ。それが、今の東北学である、そう思った。




講義録まとめが遅くなりすみませんでした。
東北学の原点ということで、今までの講義へのつながりを感じました。塾の原点も振り返り、心新たに参加していきたいです。
(及川 恵)