第24回粒々塾講義録

すっかり講義録作成をうるかしてしまい、気が付けばもうすぐ次回の講義。今になってあっぱとっぱしながら書いております。塾長をはじめ、皆さん申し訳ありません。
さて、今回のテーマは「文化としての方言」。
今回の講義は、横道にそれたところでの話も多かったと思いますが、「横道にそれることも、本筋を豊かにすることになる。」との塾長の言葉の通り、飛び交う方言の数々に思わず「へぇ〜。」と頷いてしまうことばかりの、非常に楽しく豊かな講義でした。
まず、前段として「日本人は背骨(気骨)をなくした。」とのお話。戦後、急ごしらえで民主主義が作られた日本。今この国には、背骨のようなものが通っていないと感じるとのこと。確かに、震災から現在に続く世の混迷した状況を見ると、深く頷かざるを得ません。今こそ背骨を持たねばならない時なのに…。マスコミ、新聞にも背骨がない。インターネットの台頭が言論の状況を一変させ、あらゆる人を発信者に変えてしまいました。単なる誹謗中傷であっても、インターネットに書かれることにより、ある種の公共性を持ったように見えてしまう危険な状況。それに対し気骨を持って反論すべき新聞に、その勇気がありません。しかも、新聞はネットに傾斜し始めています。かつて「社会の窓」と言われた新聞が、今では「社会の壁」になり下がっています。その壁を打破するには、まず、一人ひとりが自分の確固たる背骨を持ち、メディアを読み解く能力を身に付けなくてはならないと思います。そのためにも私たちは言葉を学ぶ。学ぶための背骨として、国語力を養うこと。養うためには本を読むこと。心がけます。
さて、今回の本題です。まず、震災により知られたことの1つ、地名。地名は名字にもなり、由来があり、その土地のアイデンティティを示しています。例えば、越喜来は、「喜」という字の前は「鬼」だったそう。坂上田村麿がここまで鬼を追ってやって来たことが由来となっています。鬼が付く地名は結構多いそうですが、郡山にも西田町に鬼生田という地名があり、気になるところです。他にも御代田の「代」という字は「田んぼ」を表しているそうです。由来を追っていくと、単なる記号だった地名が実体を持つ生き生きとしたものに変わり、その土地土地の情景が頭に浮かんでくるようです。正に、地名も文化なのですね。我々の住む「東北」という地方名、東京から見た方角に過ぎません。「陸奥」もそのまま「陸の奥」です。そう考えると、「東京」も、京都から見た「東の京」ということなのでしょうかね。
そして「方言」のこと。ここでは方言の由来や言葉が沢山紹介されました。例えば、相馬郡新地方言は、仙台藩の領地であったために仙台弁に近いとか、薩摩弁は、幕府の間者が入ってくるのを防ぐためとか。地元の方言も沢山出てきました。けさまっつぁま、あっぱとっぱ、ごせやける、うすらかすら、うるかす、やっちゃぐね、くさし、ほろった、がおった、ばっきゃ、などなど。私の頭に思い浮かんだのは、会津の「だら(小便)」つながりで「むぐす・もぐす」でした。失礼。今まで方言だと知らずに使っていたということもありますよね。後日、妻から「髪を縛る(結ぶ)。」、「歩ってく(歩いていく。「あるってく」だと変換できません。)。」も方言だと教わりました。また、パッソのCMでお馴染みの長崎弁の指遊び「でんでらりゅうば」。なんと塾生でも知っている人がいました。全編を調べましたので掲載します。後で調べたところ、この歌は丸山遊郭の遊女が自身の境遇を歌ったものという説があるそうです。楽しい調子の歌ですが、そう考えると悲しい歌ですね。
【でんでらりゅうば】
でんでらりゅうば(出て行けるのならば)
でてくるばってん(出て行きますけど)
でんでられんけん(出ようとしても、出て行かれないので)
でーてこんけん(出て行きません)
こんこられんけん(行こうとしても、行かれないので)
こられられんけん(行かれないから)
こーんこん(行かないよ、行かないよ)
井上ひさしの小説「吉里吉里人」についての話がありました。「吉里吉里人」では、会話が吉里吉里語で書かれていますが、そのことにより東北の大地の響きが込められていて、その限りで強い風土性を帯びています。吉里吉里人が東北弁で語るその言葉には、憤りの感情まで生々しく感じることができました。
そして、山浦玄嗣の「ケセン語訳聖書」の話。後日調べた内容も盛り込んでお伝えします。気仙地方とは岩手県三陸の沿岸部。山浦さんは「気仙衆にも分かってもらえる聖書を作ろう。」と、地元のケセン語で聖書を訳したそうです。しかも「訳語を洗い出し、本当の意味をさかのぼって探る」ため、ギリシャ語の原典から直接ケセン語へ翻訳しました。この聖書は震災により水に浸かってしまいましたが、「お水潜り(洗礼)の聖書」として呼ばれ、完売したそうです。講義で紹介された一節を、従来の文言と比べて読んでみると、その分かりやすさは一目瞭然。従来のものだと、一語一語立ち止まり意味を考えながらでないと読み進められないのですが、ケセン語訳は聖書に縁遠い私にもすうっと読み進められ、キリストの教えがぐんと身近に感じられました。ちなみに、活版印刷を発明したのはグーテンベルク。1455年に印刷されたグーテンベルク聖書は、現時点で存在が確認されているのは不完全なものも含め48部で、日本ではアジアで唯一、慶応義塾大学が保存しているそう。一度でいいからお目にかかりたい、と思ったら大学のオンラインで見ることができます!なお、このケセン語訳聖書を刊行した出版会社の社長さんの目標は「21世紀のグーテンベルク」だそう。こんな素敵なストーリー、大好きです。
慶應グーテンベルク聖書】
http://www.humi.keio.ac.jp/treasures/incunabula/B42-web/b42/html/index_jp01.html
方言は文化。共通語にはない、方言でしか表現できないことがあります。そして、話す者にとって、その土地の方言の響きは自然と体に染み込んでくる心地よいもの。そんな自分たちの言葉が突然奪われたら…。避難した人たちがなぜ同じ部落の人々、コミュニティを求めたか。それは話し合える言葉を持っているから。言葉は人と人との心をつなぐ手段であり、コミュニケーションの原点。自分の言葉で話すことのできる幸せは、奪われて初めて気付くのかもしれない。単身で避難せざるを得なかった人々は、慣れ親しんだ地名を持つ土地とともに自分たちの言葉からも引き離されてしまった…。
講義は、伊坂幸太郎「PK」からの一節で締めくくられました。
「Keep goin and keep doing what you're doing dancing.(今やっていることをやり続けなさい)」
ん、できっことすっぺ。

(小林記)