第22回粒々塾講義録

第22回粒々塾のテーマは
『リスク社会を生きる② 「情報」というリスク』

レジュメには「3・11」とあえて括弧付きで表記されていた。
そこには上手く言い表せない、塾長の「あらゆる意味やあらゆる事実と、
死者への鎮魂、生きながら苦しみ、悩む人たちへの思い」が込められている。

諸君の「3・11」はどうだったか。何を考えたか。

震災1年後の粒々塾は、問い掛けから始まった。
3・11、私はいつも通りの休日を過ごそうと意識しながら、
掃除や洗濯など普段と変わらない時間を過ごした。
どこかで、また何かが起きるのではないかという漠然とした
不安を感じながら、あの特別な時を待った。

平成24年3月11日 午後2時46分 一人静かに、一人の友を思った。
あまりにも自然に涙が頬をつたっていったので、拭くという動作が不自然に思え、
そのままにした。
同時に「1年経ったのだから、津波が彼女の命を奪った事実を受け入れなければ
ならない。」と考えた。
講義の中で、3月12日朝日新聞の記事
「悲しみを抱いて生きていく」(国主催の追悼式典での遺族代表の言葉)
が紹介され、「常懐悲感 心遂醒悟」という言葉を教わった。
この言葉は、常に懐に悲しみを抱えていると、やがて自己に目覚め、
悟りに近い気持ちになれるというような意味で、法華経にある言葉。
私にもいつか悲しみに心が洗われ、心が覚醒する日が来るのだろうか。

震災後、神隠しにあったような時間や日々を過ごしてきた。
その中で、人々は「情報が無い」と言い、やがて出て来た様々な情報へは
もはや信頼感を失い、それなのに「情報」に流されてきた。
情報無しには生きていけない環境にあるが故に、情報という名の罠に
はまってしまったのだ。どんどん積み重なる不信から人々は不安を抱え、
正しい情報にさえ耳を傾けなくなり、風評被害を引き起こす。
つまり、この不信こそが最大のリスクとなる。
では、情報のリスクをどう回避するか。これは情報リテラシーの問題になる。
人にはそれぞれ持っている価値観があるが、自分の価値観に合う合わないを問わず、
それを頭に入れて解釈する。根気と気力が必要だが、多くの情報に接し、
接した情報をまず疑うことがリスク回避につながるのだ。

 私たちは今回のテーマである「情報」を、様々なメディアや媒体によって得ている。
その一つに新聞がある。3月11日の読売新聞と朝日新聞の一部を塾長が読んでくれた
(3月14日のからから亭日乗で抜粋部分を読むことができる)。
記事の書き方には二つの方法がある。
高いところから全体を見渡すように書くピラミッド型と、一番底辺にいて
一人の人に密着し、その人の記事から全体像を見るように書く逆ピラミッド型である。
紹介された記事は後者であり、当事者意識を持った記者が書いた主観記事であった。
彼らの記事は読み手を摩耗させることはしない。
それは、取材者の意図とは関係ない事実を伝えることができる
「心聞記者」が書いた記事だからなのかもしれないと思った。

 ここまで情報の「リスク」について書いてきたにも関わらず、
ときには情報が「クスリ」になるという発想が浮かんだ。
誰もが経験したように、正しい情報によって不安が軽減され、
ときには、心が癒されるような情報もあったのではないだろうかと。
例えば、三陸鉄道の切符の情報に、疲れた心が少し元気になるような・・・。
三陸鉄道「釜石から復興未来行き」、諦めない限り有効。300円。
私たちは情報に振り回され、ときに傷つけられながらも、情報を求める。
震災から1年が過ぎ、少なからず精神的な疲れが見られる人たちがいる。
「クスリ」になるような情報が、人々の疲れた心を癒す日が来ることを願う。

最後に
私たち塾生は、粒々で多くの情報に触れ、学びを得る。
それらを生かしてきたか、これからどのように生かしていくのか。
たとえ小さな一歩であっても行動にうつすことで、学びが生きる。

そこで―――塾長が講義終了間際に
「本当は、粒々塾の講義の中でみんなと話をしたいんだ。」と言った。
私はその言葉をすぐに頭の中に取り込んだ。
(↑今回の学びをもとに起こした私の行動。)

諸君の「3・11」はどうだったか。これから何を考えるのか。
「復興未来行き」の車中で、多いに語ろうじゃないか。

と解釈した。正しい情報ですよね?(笑)

                         (吉田五月記)