第21回粒々塾講義録

第21回の講義は「リスク社会を生きるという題でした。
 
講義の冒頭はなぜかと思ったいろは唄。そして最下位は罰ゲームだよと前置きを置かれての漢字ゲーム。チーム戦。10問中5問正解。微妙な・・・。罰ゲームと言われると一気に真剣度が増す。ああ、これもリスクだなあと思う。ストレスとまではいかないが、脳が活性化するレベルの緊張感を得て講義は始まった。
いろは唄は諸行無常を表しているということだった。震災後から早くも11か月となる。無常観を味わうことの多い一年。
 

講義では、現代社会の代表的なリスク(望ましくないことが発生する起こりやすさの確率を示したもの)が述べられた。例えば・・・。
会社、経営、家庭のリスク
医療のリスク
政治家に国家を任せることのリスク、年金のリスク
そして、放射能のリスク・・・。
 

つい、震災のあったあの日を振り返ってしまう。
ガソリンを節約しようと、自転車で毎日買い出しに出ていた。
知人やその家族の安否が気になり落ち着かない。
停電を免れたことは助かったが、映像に衝撃を受け、余震にも震えていた。
そして原発事故。
原発の状況を早い段階で知っていたら?
福島県民は、日本人はどう行動したのだろう??
大パニックになってしまっただろうか。
それを危惧したと政府は言う。こちらは、日を追うごとにイライラすることが増えていた。
皆様はご覧になったであろうか?
原発事故が起こってからの一国の状況は“テレビドラマ”として放送された。
当時の内閣の苦悩。政府にも情報がしっかり届かなかったと、もどかしかったという。
それはそれで分からないでもないが。
 

知るべきこともあったが、大半はイライラの拍車になった。
原発の近くでは、地震の片付けに追われた人が、情報を与えられないまま、懸命に頑張っていたはずだ。もどかしかったなんて言葉で表現できるのか。
 
あの日から、福島は、フクシマとなり、特別な目で見られ続けている。
県民も放射能のリスクに対し、それぞれの考えで道を決めて生活をしている。もちろん答えを出した実感や十分な納得の上ではないままで、生活の混乱というリスクも背負っている。東電や国への信頼回復が出来ないままでいることもストレスになっている。
 
原発に対して我々はずっと無関心でいなかったか?との問いかけを受けた。
確かに以前から、どうしたって原子力に頼らなければならないのかと思ってはいた。汚染物質だってどれだけ貯蔵しておけるのか。100%の安全なんかないと。
しかし、地震の多い国においてあれほどの原子力発電所の数。正直、知らなかった。
福島に生まれ住んでいるにしては、無関心という言葉は否めない。複雑な思い。
 
リスクコミュニケーションについてという話がされた。
 

リスクに関するコミュニケーション。社会に存在する様々なリスクに関する情報や意見を、個人や集団、機関などの間でやりとりをすること。情報を共有しリスクに関する対話を通して信頼関係を築くこと。一方通行ではあってはならない。
ゼロリスク幻想という言葉に触れた。人々がいたずらに自らが負うリスクがゼロであることを要求するもので、BSE騒動の時に、一気に牛肉を拒絶したときのように、福島で取れた食べ物が一気に売れなくなったりする。
今や、風評被害の発生を恐れてしきりと、安心・安全を声高に謳っているようだが、私は普段からこう思って生活してきた。「リスクがゼロになることなんかない。仕事でもリスクを踏まえて生きてきた」。そのために知識や経験を積むものだ。
だから、安心・安全なんて言葉より、適切な情報がほしい
キュレーター(専門性をもち、発言の責任を引き受け、適切な情報を提供する)として役割をマスコミははたしていないのではないかとの指摘。
一番は風評被害を生み出すことに慎重になっているのだろうと思う。
それでは困る。こちらとしては、正しい情報を受けて、この社会の中での合意点にたどり着いて、リスクを受け入れたいのだ。
放射線のリスクといえば、食品の安全に関して、4月からの予定で、暫定基準値がこれまでの500ベクレルから100ベクレルに下げられるという。見出しはここまで。一気に安心度が高まるかのようなニュースに思えた。
しかし、講義では、原発事故後、毎日耳にしている別な値(μsv)を用いれば、下げ幅は、わずか0.008μsv。そもそも500ベクレルという基準値はアメリカの食品基準値の12分の1であると語られる。
そうなると福島は広範囲で作付け禁止になるのか?
100ベクレルに下げることでのコストの問題は?
この基準値にすることで国への信頼感を取り戻せるだろうか。
今の状況において、私たちの、いえ、私の中では、成すべきことは明確にしているつもり。
 

論語「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」で講義は結ばれた
知識を備え、自分の立場、行いに迷わず、おじけづかない・・。未来への一歩
 
そしてあらためて思ったのです。書くということは苦しくて辛いことでもあるよなあ・・・って。でも、書いてみてよかった。自分の頭の整理が出来たから。
 
久野彩子記