塾長の独り言。「古教照心」

大ちゃんが夏休み返上でこの欄を開設してくれました。
ホームページ開設時に塾生全員が掲示板にそれぞれの感想を書いてくれたことを懐かしく思い出しています。
塾を発足させて早15回。塾生も増え、いささかの出入りはあったものの定着してきたことを嬉しく思っています。

今日からお盆。盂蘭盆。宗派を超えた日本人ならではの、しかも農耕民族が持ち得る民族的文化。死者の魂が帰ってくるのかどうかは全く判然としませんが、死者を想うことは自分の生を確認することでもあります。

墓参りはかないませんが、駅前で花を求め、仏壇にろうそくをともし、線香を炊き、しばし、親をはじめ身近であった人達へ思いをはせました。

何回目かの講義の時、「死者を悼むということは忘れにことだ」とキミツグが言ったことを覚えています。

きのう古教照心の新たな製本版を手に入れました。論語抄をめくりながら、またもや目にとめた一節。「子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以って師と為すべし」。

これからも、いささかなりとも学ぶことを心がけ、何かを伝えていきたいと考えています。

今年の「お盆」を巡って考えて欲しい事。被災県人として。京都五山送り火の薪の問題。「日本人のこころの混乱」ということで納得できるかどうか。

多分テレビが映しだす京都の送り火の映像を見ながら、これまでとは違う見方をするのではにかと己を危惧してもいます。