第27回粒々塾講義録

今回のテーマは、〜“おもてなし”にみる日本人の精神構造〜でした。
たまに耳にはしますね、旅番組で温泉旅館の女将が良く言っている感じでしょうか。
語源と意味は、「もてなし」に「お」を付けた言葉で
「モノを持って成し遂げる」という意味と、
もう一つは「表裏無し」、表裏のない「こころ」。
表は「モノ」を指し、目に見える様々な形や言動を指し、
裏は「コト」を指し、心を指す。
つまり「モノ」と「コト」は形と心を指すようです。
表裏というと普段「彼は表裏の無い良い人だ」とかの使い方かな。
この感じだと「彼は普段見たままの良い人」となりそうですが、
もう少し違ってきそうですね。
「彼は普段の行動や言動が偽りでなく心も伴った良い人」となるのかな。
私は普段ここまで考えては使えていませんでした。

話を“おもてなし”に戻すと、近い言葉で「サービス」や
「ホスピタリティー」がありますが、これらは一見同じように聞こえますが、
違ったもののようです。
特に「サービス」は語源も奴隷(slave:サーヴ)や召使い(slave ant:サーヴァント)で
その行動には対価が伴うもの(海外でのチップなど)のようです。
これは日本人には馴染まないものです。考えるに“おもてなし”とは、
受手に対する尊敬(心)と押付でなくその立場に立った振舞い(形)であって、
それこそが「表裏無し」の意味でもあるということでしょう。

また、塾では「余韻」が日本人の精神構造の中に
受け継がれてきたということでした。
「余韻」とは「名残」と類似語で名残は当て字、本来は余波と書いて
「なごり」と読んだらしい。「名残」には様々な使われ方があり、
「名残手」もその一つで茶道の作法に由来し、「残心」ともいい、
お客へ器を出した後手の名残を留めながらゆっくりと手を引くことです。
千利休は道歌(道徳的な短歌)の中でこのように表しています。
『何にても 置き付けかへる 手離れは 恋しき人に わかるると知れ』
(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ)
との意味です。

また、「余情残心」も同じくお茶の作法の考え方で井伊直弼が茶湯一会集にて
その作法の意味をのべています。また「残心」とは武士道の精神でもあり、
心が途切れないという意味だそうです。
剣道では相手の攻撃や反撃を瞬時に返すことができるよう身構えていることを
残心といいます。私は高校時代に弓道をやっていたことが有りました、
塾生に自分も含めて弓道経験者が4人もいた事には驚きでしたが、
その一連の所作(射法八節)の中で最後に来るのも「残心」です。
弓道での意味は、矢を射った後も心身ともに姿勢を保ち、
目は矢が当たった場所を見据えること。

“おもてなし”の心は茶の湯や武士道の精神にも通じこれらが
日本人の精神構造の基礎となっているのかもしれません。
次に白洲次郎が言った「プリンシプル」について、直訳すれば原理、原則。
フランス語でノブレス・オブリージュ(位高きものの責務)。
これが彼の言う武士道の精神です。西洋には騎士道精神があり
これが白洲や日本人の精神にも通じるものなのかもしれません。
そう言えば、「坂の上の雲」にもイギリス紳士の精神を表す場面がありました。
明治維新以来、西洋の文化や制度の手本としてきたイギリスの文化は
武士道精神を持つ日本人にとっても受入れ易かったのかもしれません。
また、この武士道精神が白洲の戦後GHQに対して
「弱者、劣者、敗者に対する仁は、武士に相応しき徳」と
求めた精神的な規範となったのでしょう。
 最後に、復興とは「こころの復興」。
日本人の精神を取り戻すこと、とありました。
まさに、同感です。この震災で気づかされたことは日本人の心の強さでした。
武士道精神は士族で広まり江戸時代には寺子屋などで
農民や商人にも広まったと思われるが、長い歴史の中では災害の多い国で、
これらに対する備えの中で培われた国民性が元なのかもしれません。
 日本人には元々備わっていたはずの精神が失われてきていることが
問題であり、なぜ失われたのかを考え、教育に生かしてゆくことが
「こころの復興」へつながり、やがては日本の復興へと繋がると信じます。
今はお盆、ご先祖様を迎える心(これもおもてなし?)も大切なことです。

今回は、“おもてなし”のテーマから日本人の精神の復興まで
大変勉強になりました。
いつもより少ないメンバーでしたが密度の濃い塾でした。たまには良いですが、
次回はいつもの人数で濃い議論が出来ることを楽しみにしています。
皆様、良い夏休みをお過ごし下さい。

塾長、有難うございました。
                              (渡邉記)