第26回粒々塾講義録

今回の講義のはじめのお話は、前回の内容にプラスして「オノマトペ」からの始まり。
オノマトペ」とは、擬音語、擬態語、擬声語。私達の日常に、身の回りに常に存在している。日本語は特にオノマトペの種類が多いとか。
確かに、感情や風景など、それを知らない相手に分かりやすく伝えたいときに、オノマトペを駆使する。オノマトペを使えば、一言でその情景が浮かぶところが、それを使用しなければより多くの言葉を使ってしまうだろう。

つまり、オノマトペとは語感力。音の力。音の普遍性であると言える。
音の力と言えば、塾長がゴルフの時に飛距離がでる方法を教えてくれました。(ゴルフの他にも色々あったけど・・)余計な力が抜けるからいいのか、眠っている潜在能力が引き出されたのか(?)効果があったような気がします。かけ声は、脳を刺激する・効果を高めるのだそうです。

さて、ここから本題に移ります。今回のテーマは「メディアを考える」でした。
「事実」と「真実」の違い。
事実とは・・実際に起こった、または存在する事柄。
真実とは・・ウソや飾りのない本当のこと。まこと。
真相とは・・事件などの本当のありさま。事情。
という定義がありましたが、このit’s mediaの絵には考えさせられました。



この場合、ナイフを持って追いかける男と逃げる男も事実だし、テレビに映っている二人も事実。ただ、見方によっては、加害者と被害者の立場が逆になってしまっているようにも受け取れてしまう。メディアが、そこにあり事実の何処を切り取って伝えるか。それによって、伝わり方が180度違ってしまう。たぶん、日常の中でも体験していることなのかもしれません。このように何をニュースに取り上げるのかで論点がすり替わってしまうこともあり得るということ。そのぐらいの影響力をもつマスコミは、第4の権力とも言われる。
「伝えるか、伝えないか」、「伝えたか、伝えなかったか」
マスコミ=報道機関は、事実を伝える・世論を形成する立場であり、表現の自由が保障されている日本において、公正・公平で国民を守るための情報発信をすべき立場である。
しかし、報道機関の多くは、同時に言論機関、商業主体でもあり、商業主義的な報道がなされる場合もある。つまり、何をニュースにするかどうか、意思が働く。人の興味をひくものがニュースとして多く取り上げられやすくなってしまうことがある。
毎度毎度同じようなニュースを報道しているかと思えば、ぱったりと静かになることも・・。
伝えるべきことは伝えているのだろうか?風評被害も、騒ぐだけ騒いで、あとは終わりというような報道が招いた結果のような気がする。正確な事実を伝え続ける必要があるのに・・。
報道は、時として、個人の名誉毀損やプライバシーの侵害がなされる危険もある。故にマスコミ一般に報道倫理が求められていると思う。そして、情報の受け手である私達は、情報リテラシーを高めなくては、事実が歪み真実が伝わらないこともある。

講義の結びのことば
「市民がマスコミを監視し、批判していくようにならないと。それも批判の為の批判で無く」
日々のニュースに一喜一憂するだけの私。すっかり振り回されている気がする。
まずは、ワイドショー化した朝の情報番組から卒業して、マスコミを監視できる眼を養いたいと思います! 伝えられていることのもう一つ奥をみられるような眼を養っていきたいと思いました。                
(及川 恵)